発表のポイント
- てんかん1治療のための手術では、脳機能低下が生じる可能性がありますが、複雑な高次機能障害を術前に予測することは困難でした。
- 記憶にとって重要な海馬2を選択的に麻酔し、細分化した記憶機能の評価と融合させた新手法「PCA-SAFE」3により、海馬を含む切除手術での言語性記憶(言葉の情報を覚える力)4が低下するリスク予測を可能にしました。
- 本手法は術後の言語性記憶の低下を約91%という高い精度で予測し、患者が治療のメリット・デメリットを判断するための重要な情報を提供することが期待されます。
概要
てんかん外科手術では、発作の原因となる脳部位切除することで発作を改善させる効果が認められている一方で、手術後に記憶機能が低下する可能性があります。記憶の働きには個人差が大きく、複雑な高次機能障害を術前に予測することは困難でした。
東北大学大学院医学系研究科の高次機能障害学分野の柿沼 一雄助教、菊地花大学院生(研究当時)、同科神経外科学分野、同科てんかん学分野の研究グループ は、てんかん患者の手術前の検査として、海馬を選択的に麻酔する新手法「PCA-SAFE」を提案しました。このPCA-SAFEを実施した過去の患者データに基づいて、PCA-SAFEで予測された記憶力低下と、実際の手術後の記憶力低下の一致を検討しました。その結果、PCA-SAFEによって、「言語性記憶」が低下するリスクの高い患者を、約91%という高い精度(感度583.3%・特異度6100%)で判別できることが示唆されました(図1)。今後は本手法の標準化を進め、より多くの医療機関で導入可能な評価法とすることを目指します。
本研究成果は、2025年12月5日付でJournal of Neurosurgeryに掲載されました。
詳細な説明
研究の背景と経緯
薬剤抵抗性てんかんの場合、発作の原因となる脳部位(焦点)を切除する手術が検討されます。特に海馬を焦点とする内側側頭葉てんかんでは、手術治療の有効性が高いと言われています。しかし、これは同時に記憶を司る海馬の一部を切除するため、手術後に記憶機能が低下する可能性があります。記憶は覚える対象によって使う海馬が異なりますが、術前にその機能を定量化することは困難で、社会生活に重要な言語性記憶が低下することをおそれ手術に踏み切れない患者が多く存在します。
一般的に、言語を司る脳である言語優位半球7は左側にあることが多いとされています。言語性記憶も同様に、多くは左海馬に偏っていると考えられてきましたが、これには個人差が大きいことが分かってきました。特にてんかん患者では例外が多いため、言語性記憶に重要な役割を果たしているのが左右どちらの海馬であるかを個別に評価する必要があります。
これまで広く利用されてきた方法として、「Wadaテスト8」と呼ばれる手法があります。これは、内頸動脈へ麻酔を投与することで左右いずれかの脳機能を一時的に抑制するものですが、記憶障害を予測する能力は不十分でした。麻酔が脳の言語野にも作用することで言語障害が起きることや、海馬まで麻酔が十分に到達しないことなどが問題でした。
研究の内容
東北大学大学院医学系研究科高次機能障害学分野の柿沼 一雄(かきぬま かずお)助教、菊地 花(きくち はな)大学院生(研究当時)、同科神経外科学分野、同科てんかん学分野を中心とした研究グループは、選択した脳血管のみに麻酔を注入し、さらにその間に精密な神経学課題をおこなう新たな検査法「SAFE9」を導入しました。海馬に血流を供給する後大脳動脈10だけに麻酔薬を投与する「PCA-SAFE」は、Wadaテストで高率に出現する意識障害を来すことがなく、記憶課題も言語性記憶(言葉の記憶)と視覚性記憶(見た物の記憶)を明確に区別して評価することで、海馬切除後の記憶力低下を予測できると考えました。過去に東北大学病院でPCA-SAFEを実施し、手術を受けた患者のデータを分析すると、SAFEで行った記憶機能の予測は手術後の言語性記憶低下と約91%という高い精度(感度 83.3%・特異度100%)で一致することが明らかとなりました。従来のWada テストよりも細いカテーテルを用いた複雑な検査ですが、近年の血管内治療技術の進歩も相まって後遺症を来すような合併症はなく、安全面でも優れた成績が示されています。
今後の展開
本研究から、手術後の記憶能力をPCA-SAFEによって予測しうることが示唆されました。てんかん患者では、記憶の機能が非典型的な場合があり、こうした手法によって個人ごとの「脳の個性」を明らかにすることでより良い手術計画を提案できる可能性があります。「手術後に予測されうる認知機能障害」を具体的に明らかにすることで、手術に際して患者自身が自己の価値観に沿った意思決定を行うことの手助けにもなりえます。
今後は本手法の標準化が進み、より多くの医療機関で導入可能な評価法となることが期待されます。

PCA-SAFEによって「高リスク」と「低リスク」と予測された患者群を横軸、手術後の言語性記憶の低下を縦軸に示した。正の値が大きいほど言語性記憶の低下が大きいことを示す。対象患者11例のうち10例で手術後の記憶低下が正しく予測された。
謝辞
本研究は、JSPS科研費(JP24K22724)の助成を受けて行われました。
用語説明
- てんかん:脳の神経細胞の過剰な興奮によって、特徴的なてんかん発作や脳機能低下などを来す慢性の脳疾患。人口の約1%がてんかんに罹患するとされている。 ↩︎
- 海馬:脳の側頭葉の内側に左右1つずつあり、新しい出来事や情報を記憶する上で重要な役割を果たす脳部位。側頭葉てんかんの手術でこの部位を切除する場合、手術後に記憶力が低下するリスクがあるため、事前の慎重な機能評価が必要となる。 ↩︎
- PCA-SAFE:後大脳動脈のみに麻酔薬を投与することで、記憶の中枢である海馬の機能を一時的に抑制する。これにより、言葉の機能を保ったまま、純粋な記憶力のみを検査することができる。 ↩︎
- 言語性記憶:単語のリストや文章、会話の内容など、言語的な情報の記憶。対義語として視覚性記憶がある。言語性記憶は就学や就労などに影響しやすい。言語機能が存在することの多い左側半球の側頭葉手術では特に低下する確率が高く、手術後の機能低下を事前に予測する方法が求められてきた。 ↩︎
- 感度:検査の性能を表す指標の一つ。この研究では、「実際に術後の記憶力低下が起きた人」のうち、検査で正しく「リスクあり」と判定できた割合のこと。この数値が高いほど、リスクのある患者を見逃さずに発見できることを意味する。本研究では83.3%という感度を示した。 ↩︎
- 特異度:検査の性能を表す指標の一つ。「実際に術後の記憶力低下が起きなかった人」のうち、検査で正しく「リスクなし」と判定できた割合のこと。この数値が高いほど、実際にはリスクが低いのに危険と判定してしまう可能性が低いことを意味する。本研究では100%の特異度を示した。 ↩︎
- 言語優位半球:左右の脳半球のうち、言葉を話したり理解したりする上で重要な機能を担っている側のこと。右利きの人では90%以上、左利きの人では約70%が左に言語優位半球があるとされる。 ↩︎
- Wadaテスト:手術前に言語や記憶の機能が脳の左右どちら側にあるかを調べる検査。1940年代に日本で和田淳が考案し、1960年代よりてんかん外科で世界的に取り入れられてから長らく標準的な検査法とされてきた。内頸動脈(頚部の血管)から片側の脳に麻酔薬を注入し、一時的に脳を眠らせて機能を評価する。内頚動脈は脳の外側ほぼ全域を栄養し、ここに言語機能領域も含まれるため、言語障害や体の麻痺によって記憶検査としては不十分となっていた。 ↩︎
- SAFE: 「Selective Anesthesia for Functional Evaluation(選択的麻酔による脳機能評価)」の略称。脳の血管に細い管を通し、目的の脳領域に血流を送る血管だけに麻酔薬を注入する。これによって、目的の脳部位を切除した場合に生じうる脳機能障害をシミュレートすることが可能となる。本研究では、後大脳動脈を標的としたPCA-SAFEの有効性を検討した。 ↩︎
- 後大脳動脈(PCA):脳の底面から後部にかけて血流を送る動脈。記憶に重要な役割を果たす「海馬」へ血液を送っている。 ↩︎
論文情報
タイトル:Assessment of memory lateralization by posterior cerebral artery selective anesthesia and postoperative verbal memory decline
著者:Hana Kikuchi, Kazuo Kakinuma*, Shin-Ichiro Osawa, Shoko Ota, Kazuto Katsuse, Kazushi Ukishiro, Kazutaka Jin, Shiho Sato, Shunji Mugikura, Hidenori Endo, Nobukazu Nakasato, Kyoko Suzuki
菊地 花、柿沼 一雄*、大沢 伸一郎、太田 祥子、勝瀬 一登、浮城 一司、神 一敬、佐藤 志帆、麦倉 俊司、遠藤英徳、中里 信和、鈴木 匡子
*責任著者:東北大学大学院医学系研究科 高次機能障害学分野 助教 柿沼 一雄
掲載誌:Journal of Neurosurgery
DOI:10.3171/2025.8.JNS25878
URL:https://thejns.org/view/journals/j-neurosurg/aop/article-10.3171-2025.8.JNS25878/article-10.3171-2025.8.JNS25878.xml
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学大学院医学系研究科 高次機能障害学分野
助教 柿沼 一雄(かきぬま かずお)
TEL:022-717-7358
Email:kazuo.kakinuma.c1*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学大学院医学系研究科・医学部広報室
東北大学病院広報室
TEL:022-717-8032
Email:press.med*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
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