TOHOKU MEDICINE LIFE MAGAZINE

東北大学医療系メディア「ライフ」マガジン

TOHOKU UNIVERSITY SCHOOL of MEDICINE + HOSPITAL

〔いのち)の可能性をみつめる

TOHOKU MEDICINE LIFE MAGAZINE

TOHOKU UNIVERSITY SCHOOL of MEDICINE + HOSPITAL

〔いのち)の可能性をみつめる

2014年3月2日 第31回てつがくカフェ「震災後、この場所からの〈問い〉」開催の様子
© sendai mediatheque

震災の経験から「社会」を解く(ほどく)

甲斐賢治(せんだいメディアテーク アーティスティックディレクター)

〈LIFE〉では、医学や医療に軸足をおきつつも、その領域外のさまざまな学術分野やカルチャーと積極的に横断することで、〈いのち〉の可能性をみなさんとともに見つめ、ひろげていきたいと考えています。今回は、せんだいメディアテーク アーティスティックディレクターの甲斐賢治さんに、特集テーマ「社会?」を手がかりに、東日本大震災の経験から見えてくる〈社会〉の姿についてご寄稿いただきました。震災の記憶と市民の実践を通して、〈社会〉という言葉をあらためて見つめ直します。

震災と学びの場づくり

仙台市の文化施設「せんだいメディアテーク」は図書館であるとともに生涯学習、つまり学校教育とは異なるあらゆる「学びの機会の場」として、さまざまな事業に取り組んできました。コンピューターや映像などを代表に、多様なありようを見せる「メディア」を市民が思い思いに活かして何かを知り、学び、表していく。そういった活動を支援するのがこの施設の役割です。このような役割により、2011年3月に東北を襲ったあの地震と事故の約2か月後には、報道とは異なる、市井の人たちの視点を人々が自ら留め、記録し、発信していくことを支援するプラットフォーム「3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称:わすれン!)」を開設、現在もその活動を続けています。毎年3月初頭にはこれまでの記録や一年の成果を広く知らせる機会として、「星空と路」という催事が開催されています。あわせて、2011年6月より、仙台の市民グループである「てつがくカフェ@せんだい」の協力を得た「てつがくカフェ」を1階の広場で開催してきました。これは、2026年3月15日で98回目の開催を迎えるものです。メディアテークではこのふたつの事業、「わすれン!」と「てつがくカフェ」の両輪によって、震災以降の混乱した状況を多くの人々に開き、ともに考え、表してくることに取り組んできました。

ここでは、テーマとなる「社会?」をこれらの活動を通して考えてみたいのですが、そのためには少し遠くにボールを投げるところから始めたいと思います。

つかみきれない社会

筆者を含めて、老若男女問わず、わたしたちは「社会」という言葉に、実に日常的に触れています。たとえば、新聞やテレビで、この文字が出てこない一日を見つけるのはとても難しいように思います。そして、わたしたち一人ひとりが、その一員であることも同時に間違いありません。つまり、わたしたちは、外から眺めるように社会に触れているわけではなく、いつもそのただなかにいて、それを構成する要素の一つ/一人として、なんらかの役割を担いながら暮らしているのだと思います。具体的には、わたしたちは患者に向き合う医師や看護師であり、物流を担うドライバーであり、レジを打つ店員なのです。同時に、家庭における父や母であり、その子どもたちにおいてさえ、なにがしかの役割や責務を担い、暮らしているようにも思えます。そう考えてみると、社会というものがあまりにも大きすぎて、だれも逃れることのできない地面のように、その実態がどこまでなのか、よくわからなくなっていくようにも感じます。そして、そこにはあらゆる役割や責務のみならず、視点と立場、自由と欲望が蠢くように混在してもいて、そのつかみどころのなさに、めまいし、溺れてしまいそうになっても、そうおかしなことではない気がしてしまいます。

躊躇と警戒

ところが、あの震災の時、少し異なる状況が垣間見えたように思うのです。2011年3月11日14時46分の揺れの、おそらく数分後くらいだったでしょうか。仕事が休みでひとり自宅にいたわたしは、長い揺れがおさまるとまもなく身支度をすませ、徒歩15分ほどの職場に向かうために家を出ました。その後も余震が続く街は、交差点の信号はどれも消え、行き交う電線は揺れ、車はスピードを落とし、そしてあちこちのビルで警報が鳴っています。そのなかを歩きながらふと目をやると、ビルの壁に向かって一人の女性がうずくまっていました。その際、わたしはほとんど何の考えもないままに、「大丈夫ですか?」と声をかけていました。女性からは振り向きざまに落ち着いた口調で「大丈夫です」という返事が返ってきたので、それ以上のことをする術もなく、その場を離れて職場へと向かいました。ただ、それだけの出来事なのですが、そのことが忘れられない経験として深く心に残っているのです。というのも、もしそれが地震の後ではない、ごく普通の日常であったならば、おそらく声をどのようにかけたら良いか、少し留まって様子を見たり、あるいは声をかけるにしてももっと躊躇したように思うのです。また、その女性にとっても、うずくまっているからといっても、見知らぬ人、しかも異性にいきなり声をかけられたら、たとえわずかであっても、戸惑いが隠せなかったのではないかと思うのですが、そのような警戒するような感じは、まったくありませんでした。そのような躊躇を必要としない、警戒するようなこともない状況とはどのようなことなのでしょう。もちろんそれが、地震による激しい揺れのせいなのはわかります。すでに多大なストレスのある状況に置かれていたこの2人にとって、いわば他者との接触における警戒すら考える余裕などなかった、というだけのことなのだとは思います。

扉をひらく

でも、この出来事から考えたいのは、こういった他者との距離のことです。前述したように、社会の中で日々を送るわたしたちは、それぞれの立場を担い、その役割に応じた振る舞いを習得し、こう言ってよければ演じることで、たとえば、患者や顧客や教師との接触や人間関係を円滑なものとしているように思います。それはとても洗練された世界で、日々、各々にさまざまな場に応じて異なる文脈を読み取った行動を取り、場合によっては踏み越えてはならない境界、あるいは節度のようなものを瞬時にとらえながら過ごしているのだと思います。おそらくそれは、時にはそれぞれの身の安全にも関わることなのだと思います。が、ひとまずここではそれを「節度あるマナー」と呼ぶとして、先のわたしと女性の唐突なすれ違いは、そのようなマナーからほんの少し外れた行為だった。しかし、見方を変えれば、地震によって、本来、マナーに沿った行動を要求してくる「社会」の状況の方が崩れていたことで、ともに躊躇や警戒もなく、その場が成立したようにも思うのです。

つまりは、わたしたちのだれ一人逃れることができない、そのような節度あるマナーを常に求めてくる背景としての「社会」というものがあるということ。そして同時に、たとえ大地震という巨大なストレスによってかいまみえたのだとしても躊躇がなく警戒もない、「マナー」から外れた、あるいは外れることのできる「場所」が、確かにあったのだということ。この出来事によってそれが確認できたように思うのです。そしてそれは、いまもこの「社会」のすぐそばにあるのだけれど、すでにもう扉を閉じてしまったものなのかもしれません。でも、日常的にその扉を開く手立てはないものか、と考えてしまうのも悪いことではないように思います。

「わすれン!」と「てつがくカフェ」

開設まもない「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の様子
© sendai mediatheque

ここで、この先を考えてみるために、ようやく冒頭のふたつの長期プロジェクトに戻ります。わすれン!では、「震災」あるいはそれに関連する出来事になんらか自身で触れ、感じた人々によって収められた記録が集まっています。その内容は実にさまざまで、個々それぞれの視点の集積であり、こう言ってよければ、そこには全体像として震災を描くような、まとまったものは何もありません。つまり、まだ抜けのある点描画のように震災が少しずつ描かれているようなものなのです。そして、それらのほとんどは個々の余暇の時間に制作されており、報道のような大義はありません。おそらく、目前の出来事を「残しておくほうが/将来の誰かに伝えたほうが良いのではないか」との考えから、それらの活動があり、結果としての記録資料があるのだと思います。

そして、これらの活動が始まって間もない頃に、ある参加者によって示された「私に記録する資格はあるのか」という言葉が、わたしの記憶に深く残る重要な指摘でした。つまり、あくまで市井の人間が、歴史的な災害に対峙し、ごく個人的にその記録を残す、というような振る舞いをおこなう資格があるのか、という問いかけです。まるで、「おまえは何様だ」と迫られているような躊躇を、ねもとで引きずりながら、わすれン!の活動は続き、今に至っているのです。確かに、新聞やテレビなどの報道する側の人々は、間違いなく職業的な立場を持っており、多くは専門的な教育を受け、さらに職業倫理的な判断基準も一定共有しているのだと思われます。ここに、震災を伝える社会的な立場であり、責務としても担っている立場と、ただ、そこに暮らしていた一個人の意思による記録活動の対比が見えてきます。一方は、屈強な土台の上に立っていて、もう一方はとても脆弱な足元であるように見えます。ただ、その脆弱な土台での活動を可能ならしめたものが、自身の揺れについての経験であり、取材めいた投げかけに呼応してくれた被災した人々との信頼関係なのではないかと思うのです。そこで、何かを見知ったことから、預かったものをせめて遠くの誰かに渡さなくてはならない。そのような使命感からも突き動かされていたのかもしれません。

もうひとつのプロジェクト、てつがくカフェにおいては、特に震災まもない頃はあくまでわたしの感想ですが、いつも秩序と混乱が入り乱れ、蠢き、緊張とともに寛容があるという、まるで見たこともないどう猛な怪物のようなものがうねる時間であり、空間でした。でもまさしくそれは、あきらかに参加する人々によって、集団によってつくられているものでした。それぞれの顔や姿も見える3時間、目の前に真摯で寛容に満ちた場がたち現れるのです。誰かの発言を会場全体で聞き、その発言にまた誰かが呼応し、新たな考えを投げかけ、展開していきます。その積み重ねを総勢で行う運動のようなものとして感じられたのでした。そして、当時、震災という(いまでは大袈裟に感じられるかもしれませんが)世界が揺らぐような状況のなか、てつがくカフェの開催に立ち会うたびに、「世界は捨てたものではない」とそう心から思うことができました。なぜなら、この経験はその場の寛容さゆえに、人の孤独を際立たせるものの孤立から救う、とさえ思えたからでした。せんだいメディアテークの元館長である哲学者の鷲田清一氏は、「てつがくカフェとは、見知らぬ者同士が、自分の持つ属性とは関係なく一市民として、この社会で生きている中で体験したことを語り、意見を述べ、そして他者の話を聴く場である」と定義しています。

新たな生活圏の獲得

ようやくテーマである「社会?」に戻ります。前述のとおり、どうしても「社会」は節度あるルールを常にわたしたちに求めてくるように思います。それは時にきびしく、冷たくさえ感じるかもしれません。とはいえ、それを拒絶できるほど、身近に自立した安全な「コミュニティ」や、ムラのような「世間」によって守られることも、もはや頼りないのが現実です。結果、社会という場における自身の振る舞いを洗練させていくことを通してしか、自身を活かす術はないように思います。

でも、本当にそれだけなのでしょうか。もしかすると、こうも考えることはできないものでしょうか。足もとは心許ないものの、職業人ではない「一市民」として立ち、考えを表明することができる孤独な力を獲得すること。そして、そのような拙いかもしれない自身の「考え」を交換し合うことのできる相手との寛容な場を求めていくこと。そのような活動を、ほんの一握りの人々の集まりでなすことができれば、つかみどころがなくどこか遠いところにある「社会」でもない、寛容で躊躇や警戒もない新たな生活圏が、また開かれるのではないかと思うのですが、みなさん、どう思われますか。

甲斐 賢治(かい けんじ)

せんだいメディアテーク アーティスティックディレクター。大阪生まれ。地方行政の文化施策に主に従事し、企画・運営に携わるとともに、複数のNPOに所属。社会活動としてのアートやメディア実践にも取り組んできた。2010年春より、せんだいメディアテークに所属。2011年度芸術選奨(芸術振興部門)文部科学大臣新人賞受賞。