発表のポイント
- 酸化ストレス1から細胞を守る抗酸化応答の司令塔であるNrf22という遺伝子の働きが、顎の関節(顎関節3)の軟骨(下顎頭軟骨4)では大きく抑えられていることを、マウスを用いて明らかにしました。
- この抑制は、Nrf2遺伝子の“スイッチ”部分にDNAメチル化5という後天的な化学修飾(エピゲノム変化)が関連した結果、顎関節の軟骨では抗酸化を担う酵素が少なく、DNAの酸化ダメージ6が多い状態にあることを確認しました。
- 顎関節症をはじめとする、かむ力による軟骨のトラブルに対して、このエピゲノム変化を標的とした新しい予防・治療法につながる可能性を示す成果です。
概要
私たちが食べ物をかむとき、顎の関節には繰り返し大きな力がかかります。顎の関節をつくる軟骨(下顎頭軟骨、MCC)は、膝など体を支える関節の軟骨に比べて、こうした力による変性(すり減り・破壊)が起こりやすいことが知られていましたが、その分子メカニズムは不明でした。
東北大学病院矯正歯科の菅崎弘幸講師らの研究グループは、鶴見大学との共同研究により、マウスの顎関節の軟骨では、酸化ストレスから細胞を守る“司令塔”であるNrf2という遺伝子の働きが著しく抑えられていることを発見しました。さらに、この抑制がNrf2遺伝子の“スイッチ”部分(プロモーター領域)において後天的な化学修飾(DNAメチル化)と関連していることを示しました。本成果は、顎関節症などの治療に向けた新しい手がかりとなることが期待されます。
本研究の成果は、2026年7月6日に国際学術誌 Antioxidants に掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
顎関節は咀嚼・発語・嚥下など重要な機能を担う関節であり、下顎頭軟骨(MCC)はその構成組織です。MCCは長期的な圧縮力の負荷によって成長阻害を生じやすいことが臨床的・実験的に示されており、下顎前突症(受け口)治療のためのオトガイ帽(チンキャップ)装置による治療効果はこの性質を利用したものです。
一方、荷重・衝撃を受ける膝関節の脛骨関節軟骨(TAC7)は長期的な圧縮力に対して高い耐性を示します。MCCがII型コラーゲンやプロテオグリカンを豊富に含み、軟骨細胞の増殖能も高いにもかかわらず力学的ストレスに脆弱であることは、古くから注目されてきたパラドックスです。
軟骨は血管がなく酸素の少ない環境にあるため、活性酸素種(ROS)による酸化ストレスに弱く、酸化ストレスは軟骨の変性や変形性関節症の主要な原因とされています。細胞はこれに対抗するため、Nrf2という転写因子を中心とした抗酸化のしくみをもっています。
Nrf2の働きは、DNAの配列を変えずに遺伝子の働きを調節する「エピゲノム」(DNAメチル化など)によっても制御されます。しかし、下顎頭軟骨と脛骨関節軟骨とで、このNrf2のエピゲノム制御に違いがあり、それが力の強さの差につながっているのかは明らかではありませんでした。
今回の取り組み
東北大学病院矯正歯科の菅崎弘幸(かんざき ひろゆき)講師らの研究グループは、マウスの下顎頭軟骨と脛骨関節軟骨を、目的の組織だけを正確に切り出すレーザーマイクロダイセクション8で採取し、遺伝子・タンパク質の発現量と、Nrf2遺伝子のDNAメチル化の程度を詳しく比較しました。
その結果、下顎頭軟骨のNrf2は、脛骨関節軟骨に比べて遺伝子(mRNA)レベルで約10分の1、タンパク質レベルで約20分の1(約5%)にまで低下していました。Nrf2が制御する抗酸化酵素(NQO1、G6PD、HO-1など)も同様に低下していました。
一方、DNAの酸化的な傷の指標である8-OHdGは、下顎頭軟骨で有意に多く検出されました(陽性領域の割合は下顎頭軟骨20.0%に対し脛骨関節軟骨10.7%)。
さらに、Nrf2遺伝子のスイッチ部分(プロモーター領域)のDNAメチル化を2つの独立した手法で調べたところ、下顎頭軟骨で明らかに高いことがわかりました。以上から、下顎頭軟骨ではNrf2の働きが後天的に抑えられ、抗酸化力が低く、酸化ダメージを受けやすい状態にあることが示されました。
今後の展開
本研究はマウスを用いて両者の“関連”を示したものであり、DNAメチル化がNrf2の抑制を引き起こす直接の原因であることを証明するには、ゲノム編集技術などを用いて狙った部位だけのメチル化を取り除く実験が必要です。
顎関節症は多くの人が経験する身近な疾患です。エピゲノムの変化は元に戻すことができるため、Nrf2のメチル化を標的とした新しい予防・治療戦略の開発につながる可能性があります。
また、同様のしくみは顎関節だけでなく、加齢に伴う膝などの変形性関節症にも関わる可能性があり、幅広い軟骨疾患の理解と治療への波及が期待されます。


謝辞
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(JSPS科研費 JP22K10256、JP22K10257、JP22K10281、JP21K10197、JP21K10199、JP23K09427、JP21K21026)の支援を受けて行われました。
本論文は『東北大学2026年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業』の支援を受け、Open Accessとなっています。
用語説明
- 酸化ストレス:活性酸素種(ROS)が過剰になり、細胞のタンパク質・脂質・DNAを傷つける状態。 ↩︎
- Nrf2:抗酸化や解毒に関わる多数の遺伝子の働きをまとめて制御する転写因子。抗酸化応答の“司令塔”にあたる。 ↩︎
- 顎関節:下顎の骨と頭蓋骨をつなぐ関節で、口の開閉やかむ運動を担う。 ↩︎
- 下顎頭軟骨:顎関節を構成する下顎骨の先端(下顎頭)を覆う軟骨。 ↩︎
- DNAメチル化:DNAの特定部位にメチル基が付く化学修飾。遺伝子の配列を変えずにその働きを抑える「エピゲノム」制御の代表例。 ↩︎
- DNAの酸化ダメージ(8-OHdG):DNAが酸化的に傷ついた際に生じる物質で、酸化ストレスやDNA損傷の程度を示す指標。 ↩︎
- 脛骨関節軟骨(TAC):膝関節など、体重を支える関節を構成する軟骨。本研究では比較対象とした。 ↩︎
- レーザーマイクロダイセクション:顕微鏡下で目的の組織だけをレーザーで切り出して回収する技術。 ↩︎
論文情報
タイトル:Promoter hypermethylation is associated with reduced Nrf2 and antioxidant enzyme expression in mandibular condylar cartilage in mice
マウス下顎頭軟骨におけるプロモーターの高メチル化はNrf2および抗酸化酵素の発現低下と関連する
著者:Hisano Ujiie, Hiroyuki Kanzaki*, Mao Katayama, Tomomi Ida, Syunnosuke Tohyama, Miho Shimoyama, Yuta Katsumata, Chihiro Arai, Misao Ishikawa, Hiroshi Tomonari
*責任著者:東北大学病院矯正歯科 講師 菅崎 弘幸(かんざき ひろゆき)
掲載誌:Antioxidants(MDPI)
DOI:10.3390/antiox15070854
URL:https://www.mdpi.com/2076-3921/15/7/854
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学病院 矯正歯科
講師 菅崎 弘幸(かんざき ひろゆき)
TEL: 022-717-8374
Email: Hiroyuki.kanzaki.a8*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学病院広報室
TEL: 022-717-8032
Email: press.med*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
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