
「生命のつながり」と未来へのまなざし(前編)
宇宙飛行士・毛利衛 × 張替秀郎(東北大学病院長)× 石井直人(東北大学医学部長・医学系研究科長)
2025.3.27 Thu
スペースシャトル・エンデバー号に搭乗し、1992年と2000年の2回にわたって宇宙実験や地球観測をおこなった宇宙飛行士・毛利衛さんは、その当時から現在に至るまで一貫して、「生命のつながり」について語ってこられました。
今回の鼎談では、宇宙から地球を見つめたという経験によって生まれたその独自の生命観について、毛利さんにお話しいただきつつ、張替秀郎・東北大学病院長と石井直人・東北大学大学院医学系研究科長・医学部長とともにライフサイエンスの現在と未来について、そして希望について、若い世代の皆さんへの想いについて語っていただきます。
張替
毛利さんは宇宙でのミッションのなかで生命科学の実験もされ、宇宙から戻って来られてからは科学館の館長として20年間、科学と社会との接点をつくってこられました。そのお立場から現在のライフサイエンスや医療をどのようにご覧になっていますか。
毛利
私はライフサイエンスの専門家ではありませんが、はじめて宇宙に行ったときの仕事には、全部で12の生命科学の実験がありましたから、その訓練のために日本中の大学を回り、宇宙で行う実験について興味深く学んだ経験があります。そして、実際に宇宙に行ったときの体験として、無重力の空間のなかで、地上で立っていたときには足のほうに溜まっていた体液が体全体に行き渡って、自分の細胞の一つひとつのすべてが丸くなっていく、という感覚を覚えた記憶があります。
宇宙の暗闇のなかに丸い地球を見たときには「すべての生命はあそこにいる」と感じましたし、もしもいま地球に隕石がぶつかれば帰るところはなく、スペースシャトルに乗り込んでいる私たちが宇宙人に捕まって他の惑星で培養されたら、私たちの体のなかには地球の生命が誕生したときからの情報が組み込まれていますから、そこで新しい地球生命がもう一回生まれて繁栄するかもしれない……などと想像を膨らませたりもしました。1回目の宇宙飛行の際には「宇宙酔い」に悩まされましたが、2回目の宇宙ではそういうこともなく、わたしの体が宇宙を記憶していた、と感じました。それも、記憶というのは脳ではなく、細胞一つひとつが刻み込んでいるのだ、と感じたのを覚えています。

そのような体験をしてきましたから、宇宙から戻ってからもずっとライフサイエンスには大きな興味を持ちつづけてきました。日本に帰ってからは日本科学未来館1の館長となり、日本の研究者をどう社会に見せていくか、科学と未来社会へのあり方をどう考えていくか、ということを想いながら、ライフサイエンスの視点からも様々な展示をつくってきました。
1953 年にワトソンとクリックがDNAの基本構造を明らかにしてから半世紀後の2003年、ヒトゲノムが解読されました。このとき、多くの人はヒトゲノムがわかったことを強調していましたが、私は「人間が他の地球生命と変わらないことを証明した」のだと直感しました。人間は神様に似せてつくられた特別な存在ではなく、地球生命の一つにすぎないのであり、生命は四十億年も多様化を重ねて現在に至っているのだ、と。
スーパーコンピュータの登場によりビッグデータが扱えるようになり、様々な情報が解析できるようになって、ヒトゲノム解読にも寄与しました。そのあたりから、世の中の変化が非常に急速なものになったと感じています。人間の体のなかにはウイルスや細菌がたくさんいて、それらの動きによって人間が支配されている、ということや、体を外敵から守ってくれる免疫の仕組みも明らかになってきました。また、どんどん科学技術が進歩するなかで、個々の細胞の中の小さな分子まで扱えるようになり、その働きの流れを見ることができるようになりました。さらには時間変化、つまり、「生命のつながり」というものがわかってきました。その「つながり」の研究がいま、すごい勢いで進んでいますね。人間とはなにか、生命とはなにかという本質を理解するためには発生が重要ですが、日本では特に、iPS細胞やES細胞、間葉系細胞など、様々な幹細胞を明らかにすることによって、生命そのものの成り立ちがわかってくるという研究が非常に進みました。
現在では、スーパーコンピュータや人工知能(AI)によって医学研究が非常に早く、そして深くなり、同時に創薬のスピードも飛躍的に向上しました。薬も非常に複雑になり、どう投与していったらいいか、きっと臨床の先生がたは大変なのではないでしょうか。
ただ、私から見ると、「全体がどうなっているのか?」という立場に立って見ることのできる研究者があまり多くないのではないだろうか、という、そんな印象があります。
石井
毛利さんがおっしゃられたことは、まさに私たちが感じていることそのものです。ヒトゲノムが解読されてからの医学の進歩は目覚ましく、私個人の感覚で言うと、もうついていけないくらいのスピードだと感じています。

サイエンスのやりかたも、私が大学院生だった30年前とは大きく変わりました。当時はなにか不思議な現象があれば、それを説明するメカニズムを考え、仮説を立て、実験を組んで、証明していく、というステップでした。しかしいまは、膨大なデータを一度にインプットすれば、人間が想像もつかないようなメカニズムを示唆する情報がポンと出てきて、それを糸口として新しい発見が生まれる、という時代です。データサイエンスを駆使しなければ新しい発見ができない状況になっています。
データサイエンスやディープラーニングを駆使するということは、若い世代の研究者であれば誰でもできる環境をつくっていかないと、東北大学もそして日本も、世界から置いて行かれるだろうという危機感を抱いています。その一方で、そうしたものを利用することで次々と新しい発見が生まれていますから、若い研究者たちにはぜひそれを活かせるよう学んでいただき、次のライフサイエンスの道をつくってほしいと思います。
張替
毛利さんがおっしゃったように、全体を見るということが欠けているかもしれないというのは、私たちも非常に気になるところです。
私たちは、細胞一つずつが集まって、ひとりの人間になり、それぞれ別の顔をして、別のことを考えてこうして喋っています。その意味では、究極的には細胞の塊であって、こういう個体となっているわけです。病気についても、突き詰めれば細胞1個の遺伝子とかたんぱく質の異常から生じてくることになるわけですが、病気になるのは個体であって、個別の細胞ではありません。つまり、全体を考えないと、たぶん医療はできないのだろうと思います。

医療というのは「細胞を治す」でも「臓器を治す」でもなく、「人間を治す」ことであり、細胞よりももっと大きく全体を考えたうえで治療するということができなければ、良い医療にはなりえません。場合によっては、それは個体だけでもなく、社会も含めての違いもあるので、そこも含めて考えないと、本当に幸せな医療にはならないのではないか、という気がしています。
毛利
今年の大学入学共通テストでは新たに「情報」という科目が加わり、ますます「情報」が当たりまえになっていますね。
今から30年以上前、私がNASAで受けた訓練は、宇宙遊泳も国際宇宙ステーション建設も無重力の状況をシミュレーションしたものばかりで、いわゆるVRを使ったゲームそのものでした。そういう経験から、子どもたちには小さいうちから「うんとゲームやっとくといいよ」と言い続けてきました。そうした様々なツールというのは、当たりまえのものとして使いこなしていくものだと思います。知識はそこここに膨大にある、という状況のなかで、それを使いこなすことが「智恵」であり、自分が生き伸びるために必要なもの、という世界になっていると思います。
宇宙でなにかトラブルがあったときにどう対処するかはマニュアルに載っていますが、いくら知識がたくさんあっても、いざというときに対応できなければどうにもなりません。逆に、対応することさえ学んでいればなんとかなります。知識に早くアクセスして対処する、という訓練が宇宙の訓練です。いまという時代は知識が膨大すぎて、覚えようとしても覚えきれるものではありませんが、だからこそどう使いこなすか、という「智恵」が大切だろうと思います。

きっと、お医者さんも、患者さんを診るというときに、「全体を見る」という訓練が必要なのではないかという気がします。その意味で、お医者さんになるためには、偏差値教育だけでなく、入試でも面接をしっかりやることなどが大事になるのではないでしょうか。
石井
おっしゃる通りで、いま日本には医学部が82校ありますが、そのすべての入試で面接が行われています。他の学部において面接はほとんどありませんが、医学部医学科は100%です。医師というのは「人間を見る」「命を預かる」職業ですから、やはり面接をして、本人を全体としてしっかり評価して、入学試験で点数化しています。ただし、果たして、毛利さんがおっしゃるような「総合的にものを見る人」を選べているか、というと難しいところはあるでしょう。より良く改善していかなければならない部分もあろうかと思います。また、実際、本当にその人が患者さんの全体像を見ることができているか、本当に他人に共感できる人間か、などというのはなかなか評価が難しいところがあります。そこはまだ評価対象になっていませんし、これからの課題かと思いますね。
- 日本科学未来館(にっぽんかがくみらいかん)
「科学技術を文化として捉え、社会に対する役割と未来の可能性について考え、語り合うための、すべての人々にひらかれた場」を設立の理念に2001年7月9日に開館した。科学技術創造立国のための「科学技術基本計画」(当時)に基づき、科学技術への理解を深めるための拠点として開館した国立の科学館で、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運営している。 ↩︎

取材日:2025.1.22
場所:東北大学片平キャンパス 魯迅の階段教室にて
TEXT/LIFE編集室
PHOTO/三浦晴子

毛利 衛
Mohri Mamoru
1948年北海道生まれ。北海道大学大学院理学系研究科修士課程終了。南オーストラリア州立フリンダース大学大学院博士課程終了。理学博士。北海道大学工学部助教授を経て、1985年に日本人初の宇宙飛行士候補に選抜される。1992年と2000年にスペースシャトル・エンデバー号で宇宙実験や地球観測を行う。2000年、日本科学未来館の初代館長に就任。主な著書に『宇宙からの贈りもの』『宇宙から学ぶ ユニバソロジのすすめ』(岩波書店)、『日本人のための科学論』(PHP研究所)『わたしの宮沢賢治 地球生命の未来圏』(ソレイユ出版)などがある。
内閣総理大臣顕彰、フランス・レジオンドヌール勲章、藤村歴程賞など受賞多数。

張替 秀郎
Harigae Hideo
東北大学病院長。
1986年東北大学医学部卒業。東北大学医学部第二内科医員、米国ロックフェラー大学博士研究員を経て、2007年東北大学大学院医学系研究科血液免疫病学分野教授。2023年より現職。2024年より東北大学理事・副学長(広報・医療・共創戦略担当)を務める。

石井 直人
Ishii Naoto
東北大学大学院 医学系研究科長・医学部長。
1989年東北大学医学部卒業。東北大学医学部細菌学教室を経て、2009年東北大学大学院医学系研究科免疫学分野教授。2023年4月より現職。