
人の想いを傾聴する「臨床宗教師」のこと。
臨床宗教師・金田諦晃さんインタビュー(1)
2025.3.27 Thu
臨床宗教師をご存知でしょうか。人が死に向き合うことになるような現場、たとえば病院や被災地といった公共空間において、宗教者としての経験を生かしながら、苦悩や悲嘆を抱える人たちに寄り添い、想いを傾聴し、深く汲み取ろうという活動をされている人たちのこと。欧米には「チャプレン(chaplain)」と呼ばれる、教会や寺院に属さず施設や組織で働く聖職者がいますが、臨床宗教師はまさに「日本型チャプレン」というべきもの。日本でその養成がはじまったのが東北大学でした。今、その認定資格を受けた人は全国に80人ほどもいると言われ、医療や福祉の現場への受け入れが進んでいます。
東北大学病院の緩和ケア病棟に勤務されている金田諦晃さんもそのひとり。臨床宗教師とは、いったいどのように生まれた存在なのか、どのような役割を担っているのか、金田さんにお話を伺います。
臨床宗教師とは、あまり聞きなれない職業のように思われます。どのようなお仕事なのか、教えていただけますか。
金田
臨床宗教師というのは、病院や福祉施設、災害が起きた現場といった公共空間で心のケアに関わる宗教者のことです。ふつうの宗教者と違うのは、「布教や伝道をしない」という原則が決められているほか、さまざまな倫理的配慮を身につけていなければならないということ1。宗教や教派、宗派の立場を超えて、人の根源的な宗教的ニーズに応えることなどが特徴であると言えるでしょう。 臨床宗教師という職種のモデルとなったのは、欧米のチャプレン2でした。その日本版をつくろう、と臨床宗教師の養成がはじまったのは東日本大震災の翌年、2012年のことです。その発祥の地となったのが、東北大学大学院文学研究科でした。現在ではその養成機関は全国に広がっています。3
- 臨床宗教師の行動規範を示すものとして「臨床宗教師倫理綱領」が定められている。「ケア対象者の信仰・信念や価値観、社会文化的背景等を尊重しなければならない」「臨床宗教師は布教・伝道を目的として活動してはならない。また、そのような誤解を産むような行為は控えなければならない」「臨床宗教師は、安易に自らの信念・信仰や価値観に基づいてケア対象者に対してアドバイスや指導を提供してはならない」など、さまざまな規律がある。 ↩︎
- チャプレン(英:Chaplain)は、キリスト教において教会や寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者のこと。宗教や宗派の違いや信仰の有無を超えて活動し、科学的に答えることが難しいような心理的な苦しみに寄り添いケアをする存在として知られている。 ↩︎
- 臨床宗教師の養成講座は、2012年に東北大学で創設されたことに始まり、2024年現在では龍谷大学、鶴見大学、高野山大学、武蔵野大学、種智院大学、上智大学等の大学機関へと広がっている。 ↩︎
震災でたくさんのかたがお亡くなりになり、葛岡斎場という仙台の火葬場には多数のご遺体が運ばれてきました。本来であれば、所属する宗教の宗教者がその場にきてお経を唱えてから火葬されるはずですが、それができるような状況ではなく、ご遺体は弔いの儀式もされることなく火葬されていきました。そのようななかで、宗教者によって読経ボランティアが行われるようになったり、「心の相談室」というものが開設されたりと、住む家や家族を失った被災者の精神面をケアする動きが生まれました。それらの活動は、さまざまな宗教団体に属している宗教者が宗教や宗派の壁を超えて行われたものでした。
その「心の相談室」の事務局長を務められたのが東北大学大学院文学研究科宗教学研究室の鈴木岩弓先生であり、室長を務められたのはのちに「臨床宗教師の生みの親」と呼ばれる岡部健先生でした。岡部先生は、在宅緩和ケアの医院を開業されていた医師で、もともと震災以前から「看取りに関わる医療には医療者と協力できる宗教者が必要だ」ということを持論とされていました。しかし、それを実際にどう具体化できるのか悩んでおられたところ、被災地で活動するそうした宗教者たちの姿を見て「これなら…」と可能性を感じられたのでしょう。「臨床宗教師」という職能の名をご考案され、そのような宗教者を養成する講座を立ち上げよう、ということになったのです。
岡部先生はご自身もがんを患い、2012年にお亡くなりになられたのですが、じぶんのいのちに向き合っておられるなかで「医学では死にゆく道しるべを示すことができない」というような言葉を残されています。岡部先生は、死にゆく道しるべを示せるのは、何千年という歴史と伝統を重ねてきた宗教ではないか、とお考えになり、そのひとつのアイデアとして臨床宗教師という公共性を有した宗教者を医療の現場に入れることにより、看取りの医療を捉えなおそうとされたのだと思います。

では臨床宗教師は「死にゆく道しるべ」を指し示す役割を担っている、と。
金田
正直なところ、「死にゆく道しるべ」とはどういうものか、わたしにとっては漠然としたところがあります。東北大学病院に勤務するようになって10年近くになりますが、患者さんやご家族のかた、スタッフのかたたちと関わるなかで、「もしかしたら宗教に対する過剰な期待もあったのではないか」とちょっと斜めに見たりもしながら、「岡部先生がおっしゃっていたことはどういうことなのか」を今もずっと考え続けている、という感じです。
たとえば、かつての日本のように「亡くなればご先祖さまのところに並んで、先祖として神になって子孫を見守るというのが、亡くなった人の役目なのだ」というような大きなストーリーが共有されていた時代であれば、そのストーリー自体が端的に「死にゆく道しるべ」として受け入れられていたのではないでしょうか。しかし、今という、死生観も価値観も多様で、個人がそれぞれにいろんなところから選び取っているような時代のなかでは、単に宗教的な話をすればいい、ということではないように思われます。
そもそもなぜ、臨床宗教師をめざされたのでしょうか。
金田
わたしがこの仕事に興味を持ったきっかけは、かつて老僧から紹介された一冊の本でした。それは終末期ケアに長く携わってこられた医師の本で、さまざまな問題意識が述べられていました。そこに「なぜ宗教者は、こういう医療現場に出てこないのだ」というような辛辣な内容のメッセージがあり、それが胸に突き刺さったのです。以来、なにかをやらなくては、と考えるようになり、東北大学に臨床宗教師の研修があることを知り、参加するようになりました。そこでの実習によってはじめて医療現場に入ることになりました。それは在宅緩和ケアのクリニックで、患者さんのご自宅への医師の往診に付いていくものでした。そこからわたしと医療現場との接点が生まれました。
現在勤務されている大学病院では医師や看護師のように白衣を着ているのですか。
金田
白衣というのはどうもわたしにとって「専門職の人間だ」「誰に対しても平等に治療する」という象徴のように感じられるところがあり、また白衣を着るとなんだかじぶんが守られているような感覚になるので、わたしには合わないな、と思って着るのをやめました。白衣を脱ぐことで、もっと生身のじぶんとして相手のかたに関わることができるような気がします。
臨床宗教師というのは人の心に関わる仕事であり、その人とわたしという関係があってこそのものです。わたしにはわたし固有の歩んできた道や想いというものがあり、相手のかたにもおなじようにそのかた固有の歩んできた道や想いがある。そういうふたりが出会ったときになにが生まれるかというのが醍醐味であり、「専門性」のようなものでは語りきれない部分こそが大切だと思うのです。専門性や合理性が大切にされる医療現場では削がれやすいようなところをこそ大切にしているという意味では、医療現場らしからぬ関わりかたなのかもしれません。
病院ではわたしよりひと回りもふた回りも年上のかたたちとお会いすることも多く、「釈迦に説法しちゃった!」なんて言われることもあります。入院されているかたたちは、なんでもかんでもケアされる一方になりがちですが、人というのは案外ケアされ続けることを居心地よく感じられない部分もきっとあって、たとえば「なんか持ってけ」とおっしゃるかたもいますし、アメッコをくださるかたもいますし、「風邪をひかないようにね」という優しい声をかけてくださるかたもいますし、若い学生さんがくるとたくさんしゃべるかたもいます。そういう場面を見るたび、このかたは今、患者さんというケアされる存在として生きているのではなく、じぶんも誰かをケアする存在を生きようとしているのだな、と思います。ですから、釈迦に説法をする/されるというようなことも、すごく大切な関わりかもしれない、と思います。
病院でお話を伺っていると、それまで考えたこともなかったことを教えていただける場面は実際とても多いのです。そういうときには素直に「気づかないことを教えていただきました」とお伝えすることもあります。患者さんが亡くなられたのちにご家族とお会いしたときに、「こんなお話をお聞きしました」とお伝えすることもあります。じぶんがやったことは忘れてしまっても、相手にしていただいたことというのは記憶に残るものだということを身に沁みて感じます。

金田諦晃
2012年駒澤大学仏教学部仏教学科卒業後、曹洞宗大本山永平寺にて安居。通大寺副住職。2016年から東北大学病院緩和ケア病棟非常勤職員として勤務(認定臨床宗教師)。2019年東北大学大学院文学研究科博士課程後期入学(死生学・実践宗教学専攻分野)。
Photo : 三浦晴子
Text:空豆みきお(akaoni)