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特集:社会?
「誰しもがじぶんの生を生きているその〈いのち〉の可能性をみんなで見つめ、ひろげていけるようなことができたら」とは、このWebメディア『LIFE』の「ABOUT」の中に記述されている言葉。ひとりの存在として生まれてきて、ひとりの存在として死んでいくという意味で、〈いのち〉はどこまでも孤独な、一人ひとりのものである。
しかし、〈いのち〉はみんなのものでもある。父や母がいるからこそ生を受けるのだし、種や家族、国家のような共同体があってこそわたしたちは存在する。他者との関わりの中でこそ輝く存在かもしれないし、本来じぶんひとりのものでしかないはずの喜びや悲しみや痛みというものを誰かと分かち合えるのは、〈いのち〉は孤独なだけではないから、にちがいない。
おそらく、〈いのち〉は一人ひとりのものであり、そして〈いのち〉は一人ひとりだけに閉じられたものではない。ほかの誰かとの関わり合いのなかで生きて、ときに喜び、ときに苦しみ、ときに助け合う。その「ほかの誰かとの関わり合いのなか」のことをひとまず「社会」と呼んでみることにして、しかしそのあり方に小さな疑問符を投げかけながら、ひとりっきりでは決してない〈いのち〉のありようを考えてみたい。