発表のポイント
- 食道扁平上皮がんで、生体防御因子である遺伝子NRF2が高頻度に変異し、がん細胞の増殖を活性化する仕組みを明らかにしました。
- NRF2を異常に活性化する2つの遺伝子変異のうち、NRF2変異は食道扁平上皮細胞の生存に、より有利であることがわかりました。
- 本研究では、NRF2が活性化した食道扁平上皮がんモデルマウスの作出にも成功しました。今後、同モデルマウスの新規治療薬開発へ向けた応用が進むものと期待されます。
概要
NRF2は様々な環境由来ストレスから私たちの体を守る生体防御因子であり、KEAP1はそれらのストレスを感知してNRF2を活性化するセンサーです。一方、がん細胞はこれらの因子に体細胞変異(注1)を起こしてNRF2を活性化させ、自らの増殖を活性化します。がん細胞においてNRF2が過剰に活性化すると、抗がん剤や放射線治療に対して強い抵抗性を持つようになり、予後の悪いがんになります。特に、食道扁平上皮がんではNRF2の異常な活性化を誘導する遺伝子変異が高い頻度で発生し悪性化しやすいため、NRF2が活性化した食道扁平上皮がんに対する有効な治療法の開発が望まれています。
東北大学大学院医学系研究科の高橋洵大学院生、同大学東北メディカル・メガバンク機構の鈴木隆史准教授、山本雅之教授、および大学院医学系研究科の亀井尚教授、筑波大学医学医療系の高橋智教授らは、NRF2の異常な活性化を誘導する遺伝子改変マウス(注2)であるKEAP1変異マウスとNRF2変異マウスを作出し、両者の比較を行いました。その結果、NRF2遺伝子変異は、KEAP1遺伝子変異に比較して、食道扁平上皮細胞の生存に有利な変異であること、そのために食道扁平上皮細胞のがん化に大きく寄与することを明らかにしました。また、NRF2遺伝子変異とがん抑制遺伝子(注3)であるTrp53遺伝子変異をマウスの扁平上皮細胞に同時発生させることで、NRF2活性化食道扁平上皮がんのモデルマウスの作成に成功しました。
この成果は米国時間2024年4月10日に科学誌Cell Reportsのオンライン版で公開されました。
詳細な説明
研究の背景
転写因子(注4)NRF2は細胞を毒物や酸化ストレス(注5)から守る役割をします。一方で、NRF2が異常に活性化しているがん細胞は、抗がん剤や放射線治療に抵抗性を持つため、予後が悪いがんになります。
NRF2を異常に活性化する遺伝子変異には、主に2つのタイプがあります。一つはNRF2を抑制するタンパク質であるKEAP1の遺伝子変異であり、もう一つは、NRF2タンパク質自体の性質を変化させるNRF2遺伝子変異です。これらの遺伝子変異は、いずれもNRF2の異常な活性化を引き起こしますが、がん細胞の種類によって異なる頻度で発生します。扁平上皮がんではKEAP1遺伝子変異よりもNRF2遺伝子の変異の頻度が高いことが報告されています。
特に食道扁平上皮がんでは、NRF2を活性化する変異が高頻度に生じるため、食道がん治療の成績向上のために、NRF2が活性化した食道扁平上皮がんに対する有効な治療法の開発が期待されています。食道扁平上皮がんでは、KEAP1変異は少なく、そのほとんどがNRF2変異であることが知られていましたが、そのメカニズムは長く解明されていませんでした。
また以前に、山本教授らの研究グループは、KEAP1変異によってNRF2活性化が誘導された食道扁平上皮細胞は、周囲の細胞との競合に負けるため、時間と共に消失してしまい、がん化しないことを報告しました(廣瀬ら、2023年、DOI:10.1016/j.jcmgh.2022.09.004.)。
今回の取り組み
研究グループは、ヒトの食道扁平上皮がんでは、KEAP1遺伝子変異よりもNRF2遺伝子変異の頻度が高いことに注目しました。NRF2の遺伝子変異を導入したマウスを新たに作製して、NRF2変異体マウスとKEAP1変異体マウスの食道組織を比較すると、どちらのモデルマウスでも同等にNRF2の活性化を誘導されているにも関わらず、KEAP1遺伝子変異を持つ扁平上皮細胞は周囲の細胞との競合に負けて消失してしまうのに対し、NRF2遺伝子変異を持つ扁平上皮細胞は長く生存が可能であることを発見しました。
さらに、NRF2遺伝子変異とがん抑制遺伝子であるTrp53遺伝子変異をマウスの扁平上皮細胞に同時に発生させると、食道扁平上皮がんに類似した形態を持つ異型細胞が発生することがわかりました。一方、この変化はKEAP1遺伝子変異とTrp53遺伝子変異を同時に発生させた場合では確認されませんでした。これらの結果から、KEAP1遺伝子変異とNRF2遺伝子変異はNRF2を活性化する点では似た性質を持っていますが、扁平上皮細胞ではNRF2遺伝子変異発生すると、特にがん化に寄与しやすいことが示されました。すなわち、これがヒト食道扁平上皮がんでNRF2遺伝子変異が多い理由と理解されます。
今後の展開
本研究で新たに作出されたNRF2変異体マウスを利用して、NRF2活性化食道扁平上皮がんの研究を進めていくことで、NRF2の活性化に伴うがん悪性化の分子メカニズムが明らかになり、食道扁平上皮がんに対する新しい治療法の開発が加速することが期待されます。

NRF2変異マウス(Nrf2L30F/L30F::K5CreERT2)の食道上皮に発生したNRF2活性化扁平上皮細胞(NQO1+)は生存可能であるが、KEAP1変異マウス(Keap1flox/flox::K5CreERT2)の食道上皮に発生したNRF2活性化扁平上皮細胞(NQO1+)は時間と共に消失する。上図は、マウス食道の断面図を示す。Nrf2L30F/L30F::K5CreERT2およびKeap1flox/flox::K5CreERT2いずれの場合も、NRF2活性化を誘導して1週間後(1wk)ではNQO1+細胞(茶色)が確認されるが、4週間後(4wk)および8週間後(8wk)になると、Nrf2L30F/L30F::K5CreERT2ではNQO1+細胞が生存しているのに対して、Keap1flox/flox::K5CreERT2ではNQO1+細胞が消失している。右グラフは、NQO1+細胞の面積を示している。下図は、NRF2変異とKEAP1変異はいずれもNRF2活性化を引き起こすが、扁平上皮細胞の運命に異なる影響を及ぼす様子を模式化している。
謝辞
本研究は、文部科学省 科学研究費補助金(JP19H05649, JP22K06876)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業(BINDS)、公益財団法人武田科学振興財団、公益財団法人持田記念医学薬学振興財団、公益財団法人ライフサイエンス振興財団、公益財団法人がん研究振興財団、公益財団法人鈴木謙三記念医科学応用研究財団の支援を受けて行われました。
用語説明
注1.体細胞変異:細胞が生育する過程で後天的に獲得する遺伝子変異であり、がんなどの疾患の原因となる。
注2.遺伝子改変マウス:DNAの配列を人工的に変化させることにより、特定のタンパク質の発現量や機能を変化させたマウス。
注3.がん抑制遺伝子:遺伝子変異の修復や、異常な細胞の排除をする役割を持つ遺伝子であり、がんの発生を抑制している。
注4.転写因子:DNAに結合し、遺伝子の発現を制御するタンパク質の総称。
注5.酸化ストレス:活性酸素種などによるストレス。DNAやタンパク質などを損傷させる。
論文情報
タイトル:Differential squamous cell fates elicited by NRF2 gain-of-function versus KEAP1 loss-of-function
「NRF2の機能獲得変異とKEAP1の機能喪失変異によって引き起こされる扁平上皮細胞の異なる運命」
著者:
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構 分子医化学分野/東北大学大学院医学系研究科 消化器外科学分野 高橋洵
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構 分子医化学分野 鈴木隆史*、佐藤美羽、新田修司、矢口菜穂子、牟田達紀、土田恒平、須田博美、守田匡伸、山本雅之*
東北大学大学院医学系研究科 消化器外科学分野 亀井尚
東北大学大学院 医学系研究科 消化器病態学分野 濱田晋、正宗淳
筑波大学 医学医療系/トランスボーダー医学研究センター 高橋智
*責任著者:東北メディカル・メガバンク機構・分子医化学分野 教授 山本雅之、医学系研究科/東北メディカル・メガバンク機構・分子医化学分野 准教授 鈴木隆史
掲載誌:Cell Reports
DOI:10.1016/j.celrep.2024.114104
URL:https://doi.org/10.1016/j.celrep.2024.114104
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構・機構長/分子医化学分野
教授 山本 雅之(やまもと まさゆき)
TEL:022-728-3961
Email:masayuki.yamamoto.c7*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構/大学院医学系研究科・分子医化学分野
准教授 鈴木 隆史(すずき たかふみ)
TEL:022-728-3037
Email:takafumi.suzuki.d5*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構
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