産後うつの生じ易さを左右する遺伝子座を特定
2024.9.19 Thu
発表のポイント
- 産後うつについてゲノムワイド関連解析(GWAS)(注1)を行い、8つの遺伝子座が有意に相関することを特定しました。
- 本解析では、出産回数、および、同居する家族の人数を最も影響の大きい因子と特定し、年齢とともに、この2つの要因を交絡因子としました。
- これらの遺伝子座は、うつ病、双極症、統合失調症、注意欠如・多動症、自閉スペクトラム症などの精神疾患との関連が報告されており、産後うつの罹患リスクと他の精神疾患の罹患リスクとの共通性が示唆されました。
- これらの知見は、産後うつの病因解明を進める上で有力な手掛かりとなることが期待されます。
概要
日本では約 15%の妊産婦が産後うつの状態を呈すると試算されます。しかし、その高い有病率と母子に及ぼす深刻な影響にもかかわらず、その基盤となる生物学的特性についてはほとんど知られていません。近年、うつ病をはじめとする様々な精神疾患の罹患感受性に関連する遺伝子座が報告されていますが、産後うつと有意に関連する遺伝子座を同定した研究はありませんでした。
東北大学と名古屋大学の研究グループは、東北メディカル・メガバンク計画(注2)による三世代コホート調査(注3)および名古屋大学において登録された周産期女性を調査対象として、産後うつに関連する遺伝子座を明らかにするための GWASを実施しました。まず、産後うつのGWASに最も影響の大きい交絡因子として、出産回数、および、同居する家族の人数を特定しました。基本的属性である年齢とともに、この 2つの要因を交絡因子として調整した上で、産後うつに相関するゲノム多型を特定するための GWAS を実施しました。その結果、産後うつに有意に相関する8つの遺伝子座を特定しました。これらの遺伝子座は、他の精神疾患との関連が報告されており、産後うつの罹患リスクと他の精神疾患の罹患リスクの共通性が
示唆されました。
これらの知見は、今後、産後うつの病因解明を進める上で有力な手掛かりとなり、産後うつのリスク評価に基づいた対策の検討にも繋がることが期待されます。
本成果は 2024年9月18日(日本時間)に精神医学分野の専門誌 Psychiatryand Clinical Neurosciences に掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
産後うつ(Postpartum Depression)は、出産後に生じる抑うつ状態を指し、産後1か月以内の産褥期に発生することが多いですが、それ以降に発生するケースもあります。産後うつは出産後の妊産婦の15%程度に生じることが知られ、その高い罹患率と母親自身の心身の健康や新生児の心身の発達に及ぼす深刻な影響にもかかわらず、その基礎となる生物学的メカニズムについてはまだ十分に解明されていません。精神疾患への罹患し易さに関わるゲノム要因を特定する手段として全ゲノムの多型と標的疾患への罹患の有無や症状等の表現型との相関を検証するGWASがうつ病、双極性障害、統合失調症等、様々な精神疾患に適用され、有意に相関する遺伝子座が報告されてきています。うつ病の中でも妊娠、出産の経過の中でホルモン等の身体変化や特徴的な環境変化に伴い発症する産後うつは、特異的なゲノム要因を有することが想定され、これまでに産後うつの発生に関与するゲノム要因を特定するためのGWASの試みが国際的になされてきていますが、多民族を背景とするコホートに基づく解析であったこともあり、有意に関連する遺伝子
座を同定することに成功していませんでした。
今回の取り組み
この度、東北大学大学院医学系研究科と東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)を兼務する富田博秋(とみた ひろあき)教授、および、栗山進一(くりやま しんいち)教授を始めとするToMMoのメンバー、李雪(り せつ)助教を始めとする同医学系研究科のメンバーは、名古屋大学の尾崎紀夫教授らのグループと共同で、東北メディカル・メガバンク計画(TMM)による三世代コホート調査および名古屋
大学において登録された周産期女性を対象に、産後うつ病に関連する遺伝子座を明らかにするためのGWASを実施しました。
本研究での産後うつの評価は、産後うつのスクリーニングに国内外で汎用される10問の質問から成る自記式の評価尺度であるエジンバラ産後うつ病自己評価票(Edinburgh Postnatal Depression Scale:EPDS)に基づき、産後1ヶ月時点での評価を行いました。EPDSの総得点は0~30点の間で示され、点数が高い方が産後のうつ状態の程度が重度であることを示します。本邦における先行研究から産後うつのスクリーニングにEPDSを用いる上で、9点をカットオフとすることが妥当であることが示され、本邦の診療や精神保健の現場で広く用いられていることから、EPDS総得点9点以上を産後うつ群と規定して解析を行いました。
TMMの三世代コホートに登録する対象者のゲノム解析は登録時期により新旧2種類のマイクロアレイ(ジャポニカアレイ® v2とNEO)で解析されたため、調査前半で登録してv2のマイクロアレイで解析されたTMM-ver2と調査後半で登録してNEOで解析されたTMM-NEOの2つの集団に分けて解析を行いました。TMM-ver2への登録妊産婦は9,260人でそのうち1,421人が産後うつを呈し、TMM-NEOの登録妊
産婦は8,582人でそのうち1,264人が産後うつを呈していました。名古屋大学の登録者は997人でそのうち225人が産後うつを呈していました。
産後うつには、ゲノム要因以外に様々な環境要因が大きな影響を及ぼすことが知られ、発症に重大な影響を及ぼす環境要因を交絡因子として調整することは、ゲノム要因を特定する上で重要であるため、まず、産後うつに大きく影響する要因の特定を行いました。その結果、産後うつに影響する要因として、出産回数、および、同居する家族の人数が最も影響の大きい交絡因子として特定されました。基本的
属性である年齢とともに、この2つの要因を交絡因子として調整した上で、産後うつに相関するゲノム多型を特定するためのGWASを実施しました。
3つの集団のGWASのメタ解析を行った結果、産後うつにP < 5×10–8の水準で有意に相関する8つの遺伝子座(DAB1遺伝子領域内に位置する多型rs377546683、UGT8遺伝子近傍に位置する多型rs11940752、DOCK2遺伝子領域内に位置する多型rs141172317、rs117928019、rs76631412、
rs118131805、ZNF572近傍に位置する多型rs188907279、DIRAS2近傍に位置する多型rs504378、rs690150、rs491868、rs689917、rs474978、rs690118、rs690253、ZNF618遺伝子領域内に位置する多型rs1435984417、PTPRM近傍に位置する多型rs57705782、PDGFB近傍に位置する多型rs185293917)が同定されました。
これらの遺伝子座の多くは、うつ病、双極症、統合失調症、注意欠如・多動症、自閉スペクトラム症などの精神疾患との関連が報告されています。この結果は、産後うつ病と他の精神疾患が共通する遺伝的要因を持つ可能性を示唆しています。さらに、P < 1×10–3の水準で産後うつと相関する多型が局在する、もしくは近隣にある領域にコードされる遺伝子が有意に多く属する生体機能のパスウェイを特定するパスウェイ解析により、産後うつの起こり易さに相関する多型は、シナプス電位の大きさが長期間にわたって減少する現象である長期抑圧(long-termdepression)、性腺刺激ホルモン(Gonadotropin-Releasing Hormone: GnRH)シグナル伝達、グルタミン作動性シナプス、オキシトシンシグナル伝達、Rap1シグ
ナル伝達に関わる遺伝子部位に有意に多く局在することが示されました。
今後の展開
本研究は、大きなコホートの妊産婦を対象に、交絡因子になり得る豊富な情報を用いて、GWAS解析を行うことで、産後うつに有意に相関する8つの遺伝子座の局在を特定することに世界に先駆けて成功したものです。この成果は、産後うつ病の基礎となる生物学的メカニズムの解明に繋がるとともに、これらの遺伝子座をマーカーとして活用することで、産後うつのリスクを早期に予測し、個別化された予防的対策や治療法の開発に繋がることが期待されます。

図 1. ゲノムワイド相関解析による産後うつ病感受性遺伝子座の特定
東北メディカル・メガバンク計画(TMM)による三世代コホート調査に登録する妊産婦のうち、調査前半で登録しv2型のマイクロアレイで解析された集団(n=9,260人)と調査後半で登録してNEOで解析された集団(n=8,582)、および、名古屋大学で登録された集団(n=997人)のGWASのメタ解析を行った結果、産後うつにP < 5×10–8の水準で有意に相関する8つの遺伝子座(DAB1遺伝子領域内に位置する多型
rs377546683、UGT8遺伝子近傍に位置する多型rs11940752、DOCK2遺伝子領域内に位置する多型rs141172317、rs117928019、rs76631412、rs118131805、ZNF572近傍に位置する多型rs188907279、DIRAS2近傍に位置する多型rs504378、rs690150、rs491868、rs689917、rs474978、rs690118、rs690253、ZNF618遺伝子領域内に位置する多型rs1435984417、PTPRM近傍に位置する多型rs57705782、PDGFB近傍に位置する多型rs185293917)が同定されました。これらの遺伝子座の多くは、大うつ病性障害、双極性障害、統合失調症、注意欠陥・多動性障害、自閉症スペクトラム障害などの精神疾患との関連が報告されています。この結果は、産後うつ病と他の精神疾患が共通する遺伝的要因を持つ可能性を示唆しています。
謝辞
本研究は、東北メディカル・メガバンク事業(JP17km0105001, JP21tm0124005)、並びに、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラム(JP16dm0107099, JP16dk0307077, JP21dk0307103)の支援を受けて行われました。
用語説明
注1.ゲノムワイド関連解析(GWAS): DNAマイクロアレイ等を用いて、全ゲノムのDNA 多型のアレルを解析して、特定の疾患の非血縁の患者集団と非血縁の健常対照集団との間で統計学的に有意な頻度差を示す DNA 多型部位を網羅的に検索する手法である。GWAS の対象者は、疾患のある人(症例)とない人(対照)のようにカテゴリに分けられる表現型であったり、血圧などの特定の形質についての連続する値で表される表現型であったりする。あるDNA多型のあるアレルが対照者に比して罹患者に有意に多く見られる場合、そのアレルはその疾患と有意に相関していると判断され、その多型部位は、疾患のリスクに影響を与える可能性のあるヒトゲノムの領域を示していると考えられる。
注2.東北メディカル・メガバンク計画:東日本大震災からの復興事業として、被災地の健康復興と、個別化ヘルスケアの実現を目指して平成 24 年度から行われている東北メディカル・メガバンク事業。宮城県と岩手県在住の住民を中心とした合計15万人のコホートは地域住民コホートと三世代コホートから成っている。
注3.三世代コホート調査:宮城県の産科医療機関で研究の趣旨を理解し、登録への同意の得られた妊婦とその配偶者とその双方の両親、新生児とその同胞からなる三世代の家族構成員7万人超からなるコホート調査。
論文情報
タイトル:Identification of risk loci for postpartum depression in a genome-wide association study
(ゲノムワイド相関解析による産後うつ病の罹患感受性遺伝子座の同定)
著者:李 雪, 高橋 長秀, 成田 暁, 中村 由嘉子, 櫻井 美佳, 村上 慶子, 石黒 真美, 小原拓, 菊谷 昌浩, 上野 史彦, 目時 弘仁, 大瀬戸 恒志, 高橋 一平, 中村 智洋, 割田 紀子,庄子 朋香, 兪 志前, 小野 千晶, 小林 奈津子, 菊地 紗耶, 松木 佑, 長神 風二, 荻島 創一, 菅原 準一, 星合 哲郎, 齋藤 昌利, 布施 昇男, 木下 賢吾, 山本 雅之, 八重樫 伸生,尾崎 紀夫, 田宮 元, 栗山 進一, 富田 博秋
責任著者:東北大学大学院医学系研究科(東北大学東北メディカル・メガバンク機構兼務) 教授 富田 博秋
掲載誌:Psychiatry and Clinical Neurosciences
DOI:10.1111/pcn.13731
URL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/pcn.13731
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学大学院医学系研究科 精神神経学分野
東北メディカル・メガバンク機構 災害精神医学分野(兼務)
東北大学災害科学国際研究所 災害精神医学分野(兼務)
教授 富田 博秋
TEL:022-717-7262
Email:psy*med.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
研究室:https://www.psy.med.tohoku.ac.jp/
(報道に関すること)
東北大学東北メディカル・メガバンク機構広報戦略室
長神 風二(ながみ ふうじ)
TEL:022-717-7908
Email:tommo-pr*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
- 関連資料
- プレスリリース資料(PDF)