遺伝性がんのゲノム解析結果を一般住民に返却
個別化ゲノム予防・医療の社会実装に向けた大きな一歩
2025.1.22 Wed
発表のポイント
- 東北メディカル・メガバンク(TMM)計画(注1)で取得した5万人のゲノム情報をもとに、遺伝性がん(遺伝性乳がん卵巣がん症候群:HBOC(注2)とリンチ症候群:LS(注3))のリスク保有者97人にゲノム解析結果を返却しました。
- がんの予防や早期発見のため78人が医療機関を受診し、6人がHBOCのリスク低減手術を受け、3人にがんが無症状の段階で見つかりました。遺伝性がんのリスクを知ったことにより不安やストレスが増加した人はごくわずかでした。医療費や通院の負担などを理由に19人が医療機関受診を希望しませんでした。
- 一般住民を対象とした研究でこれだけ大規模にゲノム解析結果の返却を実施したのは日本では初めてであり、個別化予防・医療につながる先駆的な取り組みです。一人ひとりがゲノム解析結果を知り、自身のヘルスケアに活用する未来を実現するための大きな一歩となります。
概要
ゲノム情報に基づく個別化予防・医療の実現が求められています。しかし、ゲノム情報の解析結果を一般住民に返却する取り組みは世界的にもほとんど行われてきませんでした。今回、東北大学東北メディカル・メガバンク機構ゲノム予防医学分野の大根田絹子教授らは、TMM計画で解析した約5万人の全ゲノム解析情報(注4)をもとに、遺伝性がんのリスクを保有する97人を対象に、ゲノム解析結果を個別に返却した上で、ゲノム情報を知った一般住民の意識や行動に関する調査を実施しました。返却した人のうち78人が、がんの予防や早期発見のために医療機関を受診しました。ゲノム情報を知ったことによって不安やストレスが増加する傾向は見られませんでした。19人は医療費や通院の負担などを理由に医療機関の受診を希望しませんでした。
本研究では、研究のために取得したゲノム情報を一般住民に返却し、病気の予防や早期発見につなげるプロトコルを構築しました。本研究は、個別化ゲノム予防・医療の社会実装に向けた大きな一歩です。
本成果は科学誌Journal of Human Genetics誌電子版に1月17日付で掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
遺伝性がんは、生まれたときから特定の遺伝子に特徴(病的バリアント(注5))があることにより発症するがんの総称で、がん全体の約5-10%を占めるといわれています。遺伝性がんの病的バリアント保有者は、非保有者に比べて若年から高い確率でがんを発症することが知られています。早期発見や予防のためのエビデンスが確立している病的バリアントを保有することがわかった場合には、定期的に詳しいがんの検査(サーベイランス検査)を行ったり、がんに罹りやすい器官を予防的に切除したりする診療が行われることがあります。また、病的バリアントは親から子へ2 分の1の確率で受け継がれるため、血縁者も遺伝カウンセリング(注6)を受けて、病的バリアントを持っているどうか検査することができます。このような医療上の対策があるものについては、医療機関で実施する網羅的なゲノム検査において、診断・治療の対象以外の遺伝性がんの病的バリアントについても保有していることがわかった場合には、患者さんに結果を返却することが推奨されるようになってきました。
個人による遺伝子の特徴がどの程度病気の発症と関連しているかを正しく評価するためには、大規模な一般住民のゲノム情報が極めて重要であり、世界各国でその解析が進められています。また、そのために生体試料を集積するバイオバンク(注7)がゲノム医療の基盤として構築されています。日本では、TMM計画の参加者約15万人からなるバイオバンクがあります。一般住民の全ゲノム解析情報をもとにした、DNA塩基配列の個人による相違の頻度の公開情報は、研究や医療に広く活用されています。
遺伝性がんの病的バリアントを持っていると、必ずがんに罹るわけではありません。バイオバンクに協力しゲノム解析が行われた一般住民の中にも、遺伝性がんの病的バリアントを持っている方がいます。医療機関で行われるゲノム検査は、その患者さんの診断や治療を目的に実施され、対象としていた以外の遺伝子に病的バリアントが見つかった場合も、その病的バリアントに応じた医療上の対策が可能であることから、返却が推奨されています。一般住民の場合は状況が大きく異なり、バイオバンクに協力しゲノム解析が行われた方の多くは、ご自身が遺伝的にがんに罹りやすい体質であることを知らずに生活しています。バイオバンクに協力したことは、医療における措置を希望することとは異なるため、もし医療機関で返却が推奨されているのと同じ病的バリアントが見つかっても、その結果をただちに返却するのではなく、その方がご自身のゲノム情報を知りたいと考えているかどうかを確認する必要があります。また、予防や早期発見の機会が得られるという良い面ばかりではなく、医療費や通院の負担が生じることや、心理的・社会的にストレスを受ける可能性があることなど、ゲノム情報を知ることのネガディブな面も丁寧に説明した上で結果を返却し、サポートしていく必要があります。そのため、大規模な一般住民のゲノム情報を解析している研究機関やバイオバンクで、個人への結果返却を実施している例は、世界的にみてもほとんどありません。
TMM 計画ではまずパイロットとして小規模な研究を3回実施し、本研究で初めて大規模なゲノム解析結果の返却に取り組みました。なお、TMM計画ではこのゲノム解析結果の返却を「遺伝情報回付」として定義しています。
今回の取り組み
TMM計画のコホート調査に参加した一般住民約5万人の全ゲノム解析情報から、2つの遺伝性がん(HBOC とLS)の病的バリアント保有者238人(HBOC167人、LS71人)を抽出しました。TMM計画では、コホート調査参加時に、将来健康にとって重要なゲノム情報を返却する予定があることを対面で説明しています。そのため今回は、具体的な病名を明示せずに、病的バリアント保有者238人と非保有者の一部756人(ランダムに抽出)にゲノム情報の解析結果返却の希望調査を実施しました。病的バリアント保有者のみを調査の対象とすると、調査のお知らせ自体が病的バリアント保有を示唆する恐れがあったため、調査対象は非保有者を含めて幅広く設定しました。その結果、病的バリアント保有者129人が返却を希望し、対面での研究説明を受けた112人(HBOC79人、LS33人)が研究に参加しました。なお、非保有者のうち、結果返却を希望した477人には郵送で対象疾患の病的バリアントが見られなかったことを説明しました。
研究参加者112人は対面で説明を受けた同日に採血し、病的バリアント保有部位の確認検査を実施しました。確認検査の結果、全ゲノム解析情報から抽出したLSの病的バリアント保有者とされていた参加者のうち12人は病的バリアントを保有していないことがわかりました。後日対面で結果返却できた病的バリアント保有者97人(HBOC77人、LS20人)のうち、78人が医療機関の受診を希望しました。このうち、71人が東北大学病院を受診し、サーベイランス検査を開始しました。このうち、HBOCの病的バリアント保有者6人はリスク低減手術を受けました。また、HBOC2人、LS人の病的バリアント保有者にはサーベイランス検査でがんが見つかりました。一方、受診しなかった19人は医療機関を受診する時間や労力、医療費の負担などを理由に、受診を希望しませんでした。(図1)
研究参加時と結果返却1年後の2回(一部参加者には4回)、調査票による調査を実施し、99人から回答をいただきました。調査票では、これまでのパイロット研究で行っていた小規模な調査の結果を参考に、一般住民がゲノム解析結果返却を受けた後に生じる心理的ストレスや結果返却後の行動について、初めて統計学的に解析しました。その結果、がんに対する不安の尺度(Cancer Worry Scale 日本語版:CWSJ(注8))は、がんに罹ったことがある人(28人)のほうが、未発症者(71人)に比べて高スコアであることがわかりました。しかしながら、がんに罹ったことがあっても、非特異的な心理ストレス指標であるKessler 6(K6)スコア(注9)が低い人のCWS-Jスコアは、がんの既往のない人と同程度でした。このことから、一般住民集団において、がんの罹患経験が不安につながる程度には個人差があり、がんに対する不安の大きさは、より簡便で汎用されているK6スコアから推定できると考えられました。また、興味深いことに、研究説明後と結果返却1年後の2回の調査のスコアを比べたところ、CWS-J、K6ともに有意な変化は見られませんでした。このことは、ゲノム解析結果の返却が不安やストレスの原因になる人は限られていることを示しています。(図2)
ゲノム解析結果返却のポジティブな点として、返却を受けた人だけでなく、その血縁者の方にも、医療上の対策を受ける機会が広がるという点があります。そこで、東北大学病院を受診したHBOCの病的バリアント保有者に、今回わかったゲノム解析の結果を血縁者に伝えているかどうか調査しました。その結果、男性よりも女性、親より子の血縁者に対して、高い割合で伝えていることがわかりました。(図3)このことは、返却を受けた人を介して、医療上の対策が同じリスクを有する血縁者にも広がる可能性を示しています。
今後の展開
疾患の予防や医療をゲノム情報に基づき個別化して実施することが、今後予防および医療の標準になっていくことが予想されます。2023年6月に成立されたゲノム医療推進法(注10)第13条では、ゲノム情報に係る試料を提供する者に対する相談支援の適切な実施のための体制の整備を図るために必要な施策を講ずることが明記されています。本研究は、研究のために取得したゲノム情報の提供者である一般住民に、個別に遺伝性がんのリスクがあることを伝えて、個別化予防・医療につなげた先駆的な取り組みです。本研究で実施したゲノム解析結果返却のプロトコルや、遺伝性がんについての理解度、がんに対する不安の尺度とその経時的変化、血縁者とのゲノム情報の共有について調査した結果は、研究や診療の場でゲノム解析結果を返却する体制を構築する上で貴重な先例となります。
今後は、遺伝性がん以外の遺伝性疾患や生活習慣病などの多因子疾患へと対象を広げることや、健康診断の一環として実施したゲノム情報の適切な返却方法の検討などを通じて、ゲノム情報に基づく個別化予防・医療を一般住民に広げる取り組みを継続していきます。

バイオバンクに試料を提供し全ゲノム解析が行われた一般住民(青)のうち、遺伝性がんの病的バリアント保有者に希望調査や対面での説明(紫)により解析結果を返却した。その後参加者の一部は医療機関(黄)で予防や早期発見のための検査を実施している。

A: 非特異的なストレス指標(K6)が高いグループでは、がん罹患歴のある人の方がCWS-Jスコアが高かった。
B: 研究説明後と比べて結果返却1年後にCWS-Jスコアが増加する傾向は見られなかった。

HBOCの病的バリアント保有者が受けたゲノム解析結果は、男性よりも女性、親より子の血縁者に高頻度で伝えられていた。
nは共有可能な血縁者を持つ参加者の人数。例えば日頃連絡をとっていて情報共有が可能な娘を1人以上持つ参加者が28人であったことを示す。
謝辞
本研究はAMEDゲノム医療実現バイオバンク利活用プログラム「東北メディカル・メガバンク計画(東北大学)(JP17km0105001, JP21tm0124005)」、「大規模ゲノム解析に必要な計算基盤構築とゲノム解析に関する研究(JP21tm0424601)」の助成を受け実施されました。
掲載論文は「東北大学2024年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業」によりOpen Accessとなっています。(DOI:10.1038/s10038-024-01314-w)
用語説明
注1.東北メディカル・メガバンク(TMM)計画:日本最大の一般住民ゲノム・コホート調査を実施しており、次世代医療の実現に貢献するため、個人のゲノム情報に紐づく多様なデータから複合バイオバンクを構築し、長期追跡している。
注2.遺伝性乳がん卵巣がん症候群(hereditary breast and ovarian cancer : HBOC):BRCA1またはBRCA2遺伝子に病的バリアントを持つことで、乳がん、卵巣がん、前立腺がん、膵臓がんなどに罹りやすくなる病態。HBOCの病的バリアント保有者には、リスク低減手術として、がんに罹患していない乳房を予防的に切除する対側リスク低減乳房切除術(Contralateral risk reducing mastectomy; CRRM)や、卵巣・卵管を切除するリスク低減卵巣・卵管切除術(risk reducing salpingo-oophorectomy:RRSO)が行われる場合もある。2020年4月から、乳がんや卵巣がんを発症したHBOCの診療の一部が保険収載された。
注3.リンチ症候群(Lynch Syndrome: LS):ミスマッチ修復遺伝子とよばれる4つの遺伝子(MLH1, MSH2, MSH6, PMS2)のいずれかに病的バリアントを持ち、大腸がんや子宮体がんなどに罹りやすくなる病態。
注4.全ゲノム解析情報:ゲノムの塩基配列情報を非遺伝子部分も含めて可能な限りすべて解析した情報。
注5.病的バリアント:個人間で異なるゲノム情報の変化(バリアント)のうち、病気の発症に関連することが明らかなバリアント。
注6.遺伝カウンセリング:遺伝医療の専門医師や遺伝カウンセラーにより、遺伝性疾患の正確な医学的情報を分かりやすく患者とその家族に伝えて、必要な心理的・社会的支援を行う診療。
注7.バイオバンク:生体試料・情報を収集・保管し、研究利用のために提供を行う取り組み。TMM 計画のバイオバンクは、コホート調査の参加者から取得した血液・尿などの生体試料とゲノム情報を始めとする多様なデータを保管・管理し、研究者に提供している。
注8.Cancer Worry Scale日本語版(CWS-J):がんの罹患に対する不安や、それによる日常生活への影響を評価する尺度の一つで、がん罹患者、非罹患者の双方に利用できる。
注9.Kessler 6(K6):一般住民を対象とした非特異的な不安やストレスの評価尺度。合計点が高い程、不安やストレスが重いとされる。
注10.ゲノム医療推進法:2023年6月に議員立法として公布、施行された「良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的かつ計画的な推進に関する法律」の略称。ゲノム医療を総合的に推進するために必要なゲノム医療施策に関する基本理念を定め、基本計画の策定等の国責務を明記した。
論文情報
タイトル:Returning genetic risk information for hereditary cancers to participants in a population-based cohort study in Japan
(日本における一般住民コホート参加者を対象とした遺伝性がんの遺伝的リスク返却)
著者:Kinuko Ohneda, Yoichi Suzuki, Yohei Hamanaka, Shu Tadaka, Muneaki Shimada, Junko Hasegawa-Minato, Masanobu Takahashi, Nobuo Fuse, Fuji Nagami, Hiroshi Kawame, Tomoko Kobayashi, Yumi Yamaguchi-Kabata, Kengo Kinoshita, Tomohiro Nakamura, Soichi Ogishima, Kazuki Kumada, Hisaaki Kudo, Shin-ichi Kuriyama, Yoko Izumi, Ritsuko Shimizu, Mikako Tochigi, Tokiwa Motonari, Hideki Tokunaga, Atsuo Kikuchi, Atsushi Masamune, Yoko Aoki, Chikashi Ishioka, Takanori Ishida, Masayuki Yamamoto
大根田絹子、鈴木洋一、濵中洋平、田高周、島田宗昭、湊純子、高橋雅信、布施昇男、長神風二、川目裕、小林朋子、山口由美、木下賢吾、中村智洋、荻島創一、熊田和貴、工藤久智、栗山進一、泉陽子、清水律子、栃木実佳子、本成登喜和、徳永英樹、菊池敦生、正宗淳、青木洋子、石岡千加史、石田孝宣、山本雅之
*責任著者:東北大学東北メディカル・メガバンク機構 教授 大根田絹子、東北大学
東北メディカル・メガバンク機構 教授 山本雅之
掲載誌:Journal of Human Genetics
DOI:10.1038/s10038-024-01314-w
URL:https://doi.org/10.1038/s10038-024-01314-w
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学東北メディカル・メガバンク機構
遺伝情報回付推進室長
教授 大根田絹子(おおねだ きぬこ)
TEL:022-274-5990
Email:kinuko.ohneda.a6*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学東北メディカル・メガバンク機構
広報戦略室長
教授 長神風二(ながみ ふうじ)
TEL:022-717-7908
Email:tommo-pr*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
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