夢見る脳のエネルギーパラドックスを発見 -脳内代謝エネルギー供給増/神経細胞ATP減少の逆説-
2026.7.28 Tue
研究発表のポイント
- マウス脳を広域蛍光イメージング1で観察し、脳血液量、アストロサイト2のピルビン酸3、神経細胞のATP4の変動を解析しました。
- ノンレム睡眠5中には、脳波のシータ帯活動から数秒後の脳血液量変動を予測でき、神経活動と血管反応が連動していることが示されました。
- レム睡眠6に移行する前から脳血液量が増加し始め、その変化は後方の大脳皮質から前方へと広がることが分かりました。
- レム睡眠中には、脳血液量とアストロサイト細胞内のピルビン酸が増える一方で、神経細胞内のATPは低下しました。夢を見るレム睡眠時には、脳内エネルギーの供給と消費の関係が動的に組み替わることを示す発見です。
概要
私たちは、眠っている間にも夢を見たり、記憶を整理したりしています。特にレム睡眠は、身体は休んでいるにもかかわらず脳は活発に働く、いわば「逆説的」な睡眠状態です。しかし、レム睡眠中に脳にどのように代謝エネルギーが供給され、消費されているのかは十分に分かっていませんでした。
東北大学大学院生命科学研究科の高橋佑輔大学院生、生駒葉子助教、松井広教授(大学院医学系研究科兼任)らの研究グループは、生きたマウスの自然睡眠中の大脳皮質を、頭蓋骨を開けずに広域蛍光イメージングで観察しました。その結果、夢を見るレム睡眠中には、エネルギー供給の増加を反映すると考えられる脳血液量の増加と、アストロサイト細胞内のピルビン酸増加が見られた一方で、神経細胞が直接利用するエネルギー分子であるATPの細胞内濃度はむしろ低下することが示されました。これは、単純に「血流が増えれば神経細胞のエネルギーも増える」とは言えないことを示す、レム睡眠における脳エネルギーのパラドックス7です。
生体脳は、コンピュータに比べてはるかに省エネ8で情報処理を行っています。夢を見るレム睡眠時特有の脳内エネルギーの供給と消費のバランスを調べることで、睡眠や記憶の仕組みの理解にもつながることが期待されます。
本成果は2026年7月27日付でCommunications Biologyに掲載されます。
詳細な説明
研究の背景
脳は、体重のごく一部を占める臓器でありながら、多くの代謝エネルギーを消費します。神経細胞が電気信号9を発生し、情報を処理し、記憶を形成するためには、細胞内のATPというエネルギー分子が絶えず必要とされるからです。一方で、神経細胞が利用できるエネルギーは、血管から運ばれる酸素とグルコース10に依存しています。そのため、脳への血流が途絶えると、わずか数秒から10秒ほどで意識は失われます。このことは、脳の情報処理が、神経活動だけでなく、代謝エネルギーの供給状態にも強く制約されていることを示しています。したがって、脳を理解するためには、神経細胞の活動と、それを支える血管や代謝の変化を合わせて見る必要があります。
脳は、このように限られたエネルギーの中で、感覚、運動、記憶、感情、意思決定などを柔軟に実現しています。このような動物特有の脳情報処理の仕組みは、代謝エネルギーに対する制約条件11のもとで進化してきた可能性があります。したがって、脳のエネルギー供給と消費の関係を理解することは、脳がどのようにして、現代のコンピュータとは異なる、効率的かつ柔軟な情報処理を実現しているのかを明らかにするうえで重要です。
睡眠12はしばしば「休息」と考えられますが、脳内では睡眠状態に応じて特有の情報処理が行われています。特にレム睡眠時には、夢を見たり、記憶を整理したりしていると考えられています。身体は休んでいるにもかかわらず脳は活発に働くことから、レム睡眠はいわば「逆説的」な睡眠状態です。研究グループはこれまでの先行研究13で、レム睡眠時において、アストロサイトと呼ばれるグリア細胞や血管系の活動に大規模な変化が生じることを示してきました。
そこで本研究では、レム睡眠時に、脳内の代謝エネルギーがどのように供給され、どのように消費されているのかを詳しく調べました(図1)。血管、アストロサイト、神経細胞の相互作用を通して、脳内エネルギーの流れがどのように組み替わるのかを明らかにすることで、睡眠中の記憶形成や、心の働きを支える生物学的基盤の理解につながると考えました。
今回の取り組み
東北大学大学院生命科学研究科超回路脳機能分野の高橋佑輔(たかはし ゆうすけ)大学院生、生駒葉子(いこま ようこ)助教、松井広(まつい こう)教授(大学院医学系研究科兼任)らの研究グループは、マウスの頭蓋骨を開けることなく、透明性を保った頭蓋骨越しに大脳皮質全体を観察する広域蛍光イメージング法を用いました。同時に、脳皮質電位(ECoG)14と筋電図(EMG)15を記録し、ノンレム睡眠、レム睡眠、覚醒状態を判定しました。この方法により、マウスが自然に眠っている状態を保ったまま、睡眠状態の変化と大脳皮質全体の血管・代謝動態を対応づけて解析することができました。
まず研究グループは、脳へのエネルギー供給に関わる局所血液量(BBV)16の変動を調べました。脳の蛍光画像では、血液中のヘモグロビンが蛍光を吸収するため、血管は影として写ります。血管が拡張して血液量が増えると、この影が強くなり、脳実質から検出される蛍光は弱くなります。本研究では、この性質を利用して、大脳皮質の広い範囲における脳血液量の変動を追跡しました。特に本研究では、頭蓋骨を開けずに観察することで、血管やグリア細胞を含む脳内環境への侵襲をできるだけ抑えた条件で解析を行いました。
ノンレム睡眠中には、脳波の中でもシータ帯と呼ばれる成分の強さが、数秒後の脳血液量変動とよく対応していることが分かりました。詳しく解析すると、シータ帯活動の変動から、約4から5秒後の脳血液量変化をよく予測できることが示されました(図2)。これは、睡眠中の脳でも神経活動と血管反応が密接に連動し、必要に応じてエネルギー供給を調節していることを示唆しています。ノンレム睡眠ではデルタ波が目立つことがよく知られていますが、本研究では、より細かな時間変動を示すシータ帯活動に着目することで、数秒後の血管反応との関係を見出しました。また、ノンレム睡眠中の比較的速い脳血液量の揺らぎは、前方の大脳皮質から後方へと、約1秒の時間スケールで伝わる波として繰り返し観察されました。
一方、レム睡眠に移行する際には、これとは異なる大きな変化が見られました。脳皮質電位と筋電図から判定されるレム睡眠の開始よりも約50秒前から、脳血液量が増加し始めることが示されました。この変化は、後方の大脳皮質から始まり、約15秒かけて前方へと広がりました。したがって、レム睡眠への移行は、脳全体が一様に切り替わる現象ではなく、後方皮質から始まる代謝的な準備過程を伴う可能性があります(図3)。
さらに、脳血液量の速い変動成分を詳しく解析したところ、ノンレム睡眠とレム睡眠では、その時空間パターンが異なることが分かりました。ノンレム睡眠では比較的一定した方向性をもつ波が見られたのに対し、レム睡眠ではその方向性が弱まりました。また、脳血液量変動には、数秒程度の特徴的な時空間パターン17が複数存在し、それらの出現頻度は睡眠状態によって変化しました。この結果は、脳血管の活動が単なるエネルギー供給の背景過程ではなく、脳状態に応じた複雑な時空間構造をもつことを示しています。
次に研究グループは、血管から供給されたエネルギー源が、アストロサイトと神経細胞の間でどのように利用されるのかを調べました。アストロサイトは、神経細胞を支えるグリア細胞の一種であり、血管から得られたグルコースの代謝や、脳内のイオン環境の調節を通して、神経細胞のエネルギー利用に深く関わると考えられています(アストロサイト-神経間の乳酸シャトル仮説)18。そこで、アストロサイトにピルビン酸センサーを、神経細胞にATPセンサーを発現させ、レム睡眠中の代謝状態を解析しました。これにより、血管からの供給、アストロサイトの代謝状態、神経細胞内のエネルギー状態を、互いに関連する一連の過程として比較することができました。
ピルビン酸は、糖代謝の中心に位置する代謝物であり、ATP産生の材料となります。通常であれば、脳血液量が増え、酸素やグルコースなどの供給が高まれば、神経細胞のATPも増加すると考えられます。実際、血管拡張薬を用いて人工的に脳血液量を増やした場合には、アストロサイトのピルビン酸と神経細胞のATPはいずれも増加しました。
ところが、自然に生じるレム睡眠中には、これとは異なる現象が起きていました。脳血液量は増加し、アストロサイトのピルビン酸も増加したにもかかわらず、神経細胞のATPは明確に低下したのです(図4)。このATP低下は、特に後方皮質領域で強く見られました。これは、レム睡眠中に神経細胞がATPを大量に消費している可能性、あるいはアストロサイトから神経細胞への代謝物の受け渡しや、神経細胞内でのATP産生様式が一時的に変化している可能性を示しています。
以上の結果から、レム睡眠中の脳は、単にエネルギー供給を増やしているだけではなく、血管、アストロサイト、神経細胞の間でエネルギーの流れを動的に組み替えていることが示唆されました。レム睡眠時には、記憶の整理、神経回路の再編成、情動処理など、エネルギーを必要とする情報処理が行われると考えられています。今回観察された神経ATP低下は、こうした情報処理に伴う一時的なエネルギー再配分を反映している可能性があります。
今後の展望
本研究は、脳血液量の増加が必ずしも神経細胞内のエネルギー増加を意味しないことを示しました。これは、機能的MRI19など、血流や血液量の変化を手がかりに脳活動を推定する技術の解釈にも新たな視点を与える成果です。血流や血液量の信号は脳活動の重要な指標ですが、それだけでは神経細胞のATP状態や、エネルギー供給と消費のバランスまでは分からない可能性があります。つまり、血管由来の信号を脳活動の指標として用いる際には、その背後で神経細胞やグリア細胞の代謝状態がどのように変化しているのかを考慮することが重要になります。
また本研究は、脳が限られた代謝エネルギーの中でどのように柔軟な情報処理を実現しているのかを考えるうえでも重要です。レム睡眠時には、血管による供給、アストロサイトの代謝、神経細胞のATP状態が単純に同じ方向へ変化するのではなく、それぞれが異なる振る舞いを示しました。これは、動物の脳がエネルギーを均一に配るのではなく、脳状態や情報処理の目的に応じて、供給と消費の関係を再編成している可能性を示しています。このような動的なエネルギー配分こそが、現代のコンピュータとは異なる、省エネルギーで柔軟な生物型情報処理を支える仕組みの一端であると考えられます。今後は、レム睡眠中に神経ATPが低下するメカニズムを明らかにすることが重要です。特に、アストロサイトから神経細胞への代謝物輸送、ミトコンドリア機能、乳酸輸送体、細胞内pH変動などが鍵になると考えられます。これらの仕組みを解明することで、睡眠中の記憶形成や精神機能の理解が深まるとともに、睡眠障害、神経変性疾患、精神疾患などにおける脳エネルギー代謝異常の理解にもつながることが期待されます。




謝辞
本研究は、文部科学省研究費補助金JSPS KAKENHI(JP22K15218、JP24K18234、JP19H03338、JP26K09537、JP19H03338、JP22H02713、JP25K02373)、学術変革領域(A)「グリアデコーディング」(JP20H05896)、学術変革領域(A)「行動変容生物学」(JP23H04659、JP25H01713)、学術変革領域(A)「pH応答生物学の確立」(JP26H01665)、新学術領域研究「脳情報動態」(JP18H05110、JP20H05046)、東北大学国際共同大学院プログラム「データ科学(GP-DS)」、光科学技術研究振興財団、武田科学振興財団、上原記念生命科学財団、第一三共生命科学研究振興財団の支援を受けて行われました。また本論文は『東北大学 2026 年度オープンアクセス推進のための APC 支援事業』の支援を受け、Open Access となっています。
用語説明
- 広域蛍光イメージング
広域蛍光イメージングは、蛍光を発する物質やタンパク質を利用して、生きた脳の広い範囲の活動を観察する方法です。本研究では、頭蓋骨を開けずに、マウス大脳皮質全体の血管・代謝動態を観察しました。マウスの頭蓋骨は、頭皮の下では比較的透明ですが、頭蓋骨を露出させて乾燥させると急速に不透明になることが知られています。そこで本研究では、頭蓋骨を紫外線硬化樹脂でコーティングし、湿潤で透明な状態を保つことで、頭蓋骨越しに脳表面の細胞や血管を観察しました。従来は、頭蓋骨を取り除いて小さな窓を作り、脳内を観察する方法が広く用いられてきました。しかし、このような侵襲を加えると、特に血管系やグリア細胞の活動が影響を受ける可能性があります。本研究では、開頭していない頭蓋骨越しに、血管内を流れる蛍光物質や脳実質の細胞に発現させた蛍光タンパク質から生じる蛍光を観察しました。観察には蛍光マクロズーム実体顕微鏡を用いました。実体顕微鏡は、視野が広く、対物レンズから対象までの距離が比較的長い顕微鏡であり、対象の表面を広く観察するのに適しています。本研究では、マウスの大脳皮質全体が観察できる程度の倍率で、励起光を脳に照射し、戻ってきた蛍光を高感度カメラで撮影しました。 ↩︎ - アストロサイト
脳のアストロサイトは、グリア細胞の一種であり、神経細胞と血管の間に位置して、脳内の代謝、イオン環境、神経伝達、血管反応を調節する細胞です。脳を構成する細胞のうち、神経細胞以外の細胞は総じてグリア細胞と呼ばれます。従来、グリア細胞は脳の隙間を埋める「ノリ」のような存在と考えられてきました。しかし近年、グリア細胞には、脳内のエネルギー代謝やイオン環境を制御する機能があることが示されてきました。さらに、神経細胞とは異なる仕組みで脳内情報処理に関わることも明らかになりつつあり、脳と心の機能におけるグリア細胞の役割に大きな注目が集まっています。グリア細胞は大きく、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトに分類されます。アストロサイトは、神経細胞同士をつなぐシナプス結合部位の近くに存在するとともに、脳内を張り巡らされた血管を取り囲む構造を持っています。そのため、神経細胞の活動と血管からのエネルギー供給をつなぐ重要な位置にあります。 ↩︎ - ピルビン酸
ピルビン酸は、グルコースが分解される過程で作られる代謝物で、ATP 産生につながる重要な分子です。本研究では、アストロサイト内のピルビン酸を蛍光センサーで計測しました。アストロサイトは血管からグルコースと酸素を受け取ります。受け取ったグルコースは、解糖系によってピルビン酸に変換されます。したがって、血管からのグルコース供給量が増えると、アストロサイト内のピルビン酸も増加すると考えられます。ピルビン酸は、アストロサイト内でミトコンドリアに取り込まれ、最終的にエネルギー分子 ATP の産生に利用されます。一方、アストロサイト細胞質のピルビン酸は乳酸に変換されることもあります。乳酸は、モノカルボン酸トランスポーター(MCT)を介してアストロサイト外へ排出され、神経細胞に取り込まれる可能性があります。神経細胞に取り込まれた乳酸は、再びピルビン酸に変換され、ミトコンドリアに取り込まれて ATP 産生に使われると考えられています。この考え方は、アストロサイト・神経細胞間乳酸シャトル仮説と呼ばれます。したがって、アストロサイトのミトコンドリア機能や MCT 機能が変化すると、ピルビン酸の消費や乳酸の排出が変化し、アストロサイト内に乳酸やピルビン酸が蓄積する可能性があります。 ↩︎ - ATP
ATP は、生物の細胞内でエネルギー通貨として働く分子です。本研究では、レム睡眠という自然な脳状態で、神経細胞内 ATP が低下することを示しました。アデノシン三リン酸(ATP)は、生物の細胞内でエネルギー通貨として機能しています。ATP からリン酸がひとつ外れてアデノシン二リン酸(ADP)になる際に放出されるエネルギーが、さまざまな細胞機能に利用されます。細胞内で ATP を効率よく産生する重要な経路としては、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化が挙げられます。細胞外のグルコースを取り込んだ細胞は、解糖系によってこれをピルビン酸に変換します。ピルビン酸はミトコンドリアに取り込まれ、クエン酸回路を経て NADH や FADH2 などの還元型補酵素が生成され、電子伝達系を介して ATP が多量に作られます。このように、細胞内 ATP 濃度は、供給、すなわち生成と、消費のバランスによって維持されています。ATP は生体内のすべての細胞の機能と生存に必要不可欠なエネルギー分子であるため、これまで、生理的な状況下ではその濃度は比較的安定に保たれていると考えられてきました。本研究は、レム睡眠という自然な脳状態で神経細胞内 ATP が変動することを示した点に大きな特徴があります。 ↩︎ - ノンレム睡眠
ノンレム睡眠は、レム睡眠以外の睡眠状態です。本研究では、ノンレム睡眠中のシータ帯活動の揺らぎが、数秒後の脳血液量変化と強く関係することを示しました。ノンレム睡眠は、深い睡眠段階を含む睡眠状態です。脳波ではデルタ波(1〜4 Hz)などの低周波成分が目立つことが特徴とされています。ただし、ノンレム睡眠中にも、シータ波(6〜9 Hz)を含め、他の周波数成分は存在します。本研究では、ノンレム睡眠中にシータ帯活動の強さが時間的に変動することに着目しました。その結果、シータ帯活動の揺らぎが、約4〜5秒後の脳血液量変化と強く関係することが示されました。これは、ノンレム睡眠中にも、神経活動と血管反応が密接に結びついていることを示唆しています。 ↩︎ - レム睡眠
レム睡眠とは、急速眼球運動(REM; Rapid Eye Movement)を伴う睡眠状態です。夢や記憶の整理と関連すると考えられ、脳波と筋電図を組み合わせることで判定できます。目を閉じて眠っている間でも、まぶたの奥で眼球が急速に動く時期があります。この急速眼球運動を REM と呼びます。レム睡眠中にヒトを起こすと、夢を見ていたと報告することが多いため、レム睡眠中に過去の経験を記憶するものと忘れるものとに選り分け、その過程で夢を見るという仮説が生まれました。このような機能をレム睡眠が実際にどの程度担っているかについては議論がありますが、他の睡眠状態とは異なる特有の情報処理がレム睡眠中に行われていることは強く示唆されています。レム睡眠中には、脳波の周波数成分のうちシータ波(6〜9 Hz)が強まり、デルタ波(1〜4 Hz)が低下します。また、身体を支える筋肉は強く弛緩するため、筋電図はほぼ平坦になります。したがって、脳波と筋電図を合わせて記録することで、レム睡眠が生じている時間帯を特定できます。 ↩︎ - 脳エネルギーのパラドックス
本研究では、レム睡眠時に脳血液量とアストロサイト内ピルビン酸が増える一方で、神経細胞内 ATP が低下する現象を「脳エネルギーのパラドックス」と呼びます。パラドックスとは、日本語で「逆説」などと訳され、一見すると常識に反していたり、矛盾していたりするように思える事象や命題でありながら、よく考えると一定の論理的根拠や真実を含んでいる状況を指します。本研究では、レム睡眠時に脳血液量が増加し、脳内へのエネルギー供給が高まっていると考えられる状況でありながら、神経細胞内のエネルギー分子 ATP が減少する現象を脳エネルギーのパラドックスと呼びます。この現象は、レム睡眠時に神経細胞による ATP 消費が大きく増加している可能性、神経細胞への代謝基質の供給が一時的に滞る可能性、あるいは神経細胞内での ATP 産生様式が変化している可能性を示唆します。いずれにせよ、レム睡眠は、神経細胞内での代謝エネルギー動態が大きく組み替わる脳状態であると考えられます。 ↩︎ - 省エネ
ヒトの脳は、成人でおよそ 20 ワット程度のエネルギーで働いていると推定されています。これは、現代の計算機と比較しても驚くほど高効率な情報処理です。このエネルギー量は、薄い白熱球を灯す程度に相当します。一方、標準的なパソコンや大規模なスーパーコンピュータは、脳とは異なる原理で計算を行い、用途によってははるかに大きな電力を必要とします。それと比較すると、生物の脳は驚異的な省エネルギー性能を実現していると言えます。脳がこのような高効率な情報処理を実現する秘密の一端は、脳内での代謝エネルギー分子の動態を調べることで明らかになると期待されます。本研究は、レム睡眠中に、血管からの供給、アストロサイトの代謝、神経細胞の ATP 状態が単純に同じ方向へ変化するのではなく、脳状態に応じて異なる振る舞いを示すことを明らかにしました。このような動的なエネルギー配分は、生物の脳に特有の省エネルギー型情報処理を理解する手がかりになると考えられます。 ↩︎ - 神経細胞の電気信号
神経細胞は、活動電位と呼ばれる電気信号を使って情報を伝えます。この電気信号の発生と回復にはATP が必要です。生きている細胞では、Na+/K+-ATPase(NKA)と呼ばれるポンプ機構が働き、細胞内のナトリウムイオンを細胞外に排出し、細胞外のカリウムイオンを細胞内に取り込んでいます。このため、通常、細胞内ではカリウムイオン濃度が高く、細胞外ではナトリウムイオン濃度が高く保たれています。NKA は濃度勾配に逆らって働くため、ATP のエネルギーを必要とします。神経細胞では、細胞膜の電位がミリ秒単位で一過性に変化する活動電位によって、脳内情報を符号化しています。活動電位が発生するたびに、ナトリウムイオンが細胞内に流入し、カリウムイオンが細胞外に流出します。活動電位によって崩れた細胞内外のイオンバランスを元に戻すために NKA が働き、脳で使われる ATP の多くは、このようなイオン環境の回復に使われると考えられています。 ↩︎ - 酸素とグルコース
酸素とグルコースは、脳細胞が ATP を産生するための主要な材料です。これらは血管を通じて脳内に供給されます。グルコースは、まず解糖系によってピルビン酸に変換されます。この過程では酸素を使わずに少量の ATP を産生できます。ピルビン酸はさらにミトコンドリアに取り込まれ、クエン酸回路、電子伝達系、酸化的リン酸化を介して、効率的に大量の ATP 産生に利用されます。この過程では酸素が必要です。したがって、血管を通じて運ばれ、脳実質に供給される酸素とグルコースの量は、神経細胞やアストロサイトへのエネルギー供給を左右する重要な要因となります。 ↩︎ - 代謝エネルギーに対する制約条件
脳へのエネルギー供給には限りがあります。そのため、脳は限られたエネルギー源を効果的に配分し、効率よく使う必要があります。脳は多くのエネルギーを消費しますが、神経細胞が利用できるエネルギーは、血管から供給される酸素やグルコースに大きく依存しています。正常な状態でも、脳へのエネルギー供給の速度には限りがあります。そのため、限られたエネルギー源を必要な場所とタイミングに配分し、効率よく利用することが、高度な情報処理を支える重要な仕組みであると考えられます。このような代謝エネルギーに対する制約条件のもとで、動物の脳に特有の柔軟で効率的な情報処理の仕組みが進化してきた可能性があります。 ↩︎ - 睡眠
マウスはヒトと異なり、短い睡眠と覚醒を繰り返します。ただし、睡眠イベントの中で、覚醒、ノンレム睡眠、レム睡眠という順序をたどる点はヒトと共通しています。マウスは夜行性の動物ですが、睡眠期に当たる昼間でも、ヒトのように長時間続けて眠り続けるわけではありません。数十秒から数分程度の短い睡眠を、一時間に数回、繰り返すことが知られています。ただし、一度の睡眠イベントにおいては、覚醒からまずノンレム睡眠に入り、その後、覚醒するか、レム睡眠に移行することがあります。レム睡眠後は、ノンレム睡眠に戻るか、覚醒します。この基本的なパターンはヒトと共通しており、通常、覚醒状態から一気にレム睡眠に至ることはありません。本研究では、このような自然睡眠の流れの中で、ノンレム睡眠からレム睡眠へ移行する際の脳血液量、アストロサイト代謝、神経細胞内 ATP の変化を調べました。 ↩︎ - 先行研究
この研究(Ikoma, Takahashi, et al., Brain 2023)では、レム睡眠時に視床下部アストロサイトが酸性化し、血流が増大することを報告しています。本研究は、この先行研究を大脳皮質の広域代謝イメージングへと発展させたものです。この先行研究では、光ファイバーをマウスの脳深部である視床下部に刺入し、レム睡眠時に生じる脳内環境の変化を読み出すことに成功しました。このようなファイバーフォトメトリー法は他の研究グループでも用いられてきましたが、従来は、血流量や細胞内 pH 変動が蛍光シグナルに影響を与える可能性が十分に考慮されていませんでした。研究グループが開発した解析手法を用いることで、レム睡眠時に視床下部のアストロサイトが酸性化するとともに血流が増大することが明らかになりました。今回の研究では、この知見をさらに発展させ、頭蓋骨を開けずに大脳皮質全体を観察し、脳血液量、アストロサイト内ピルビン酸、神経細胞内 ATP の関係を調べました。 ↩︎ - 脳皮質電位(ECoG)
脳皮質電位(ECoG)は、脳表面またはその近くで記録される多数の神経細胞活動の集合的な電気信号です。本研究では、睡眠状態の判定と神経活動の解析に用いました。多くの神経細胞の電気的活動が頭皮上の電極まで伝わって記録されるものは、一般に脳波(EEG)と呼ばれます。一方、脳実質表面やその近くで記録される電気信号は、正確には脳皮質電位(ECoG)と呼ばれます。本研究では、マウスの頭蓋骨に留置した小型のネジ電極を用いて ECoG を記録しました。EEG や ECoG で記録される信号は、多数の神経細胞の活動が合わさった集合的な電位であり、個々の神経細胞の活動そのものを直接示すものではありません。そのため、脳波や ECoG だけで脳内情報処理の詳細を理解することは困難です。一方で、睡眠、覚醒、てんかんなどの脳状態を高精度に判定するうえでは非常に有用です。 ↩︎ - 筋電図(EMG)
筋電図(EMG)は、筋肉の電気的活動を記録する方法です。本研究では、首の筋肉の活動を記録し、睡眠状態の判定に用いました。マウスが単に動かないでいるのか、それとも眠っているのかを動画だけで区別することは困難です。特にレム睡眠中には、身体を支える筋肉が強く弛緩するため、筋肉の電気的活動が大きく低下します。本研究では、首の筋肉に縫い付けた電極を用いて筋電図を記録しました。脳皮質電位と筋電図を組み合わせることで、覚醒、ノンレム睡眠、レム睡眠を判定しました。 ↩︎ - 局所血液量
局所血液量(brain blood volume; BBV)は、脳実質の単位容積あたりに含まれる血液量です。本研究では、血管の「影」を利用して BBV を測定しました。脳へのエネルギー供給は、血管から運ばれる酸素とグルコースに依存しています。血管を取り巻く血管平滑筋やペリサイトの作用によって血管径が拡張したり収縮したりすると、局所的な血液量が変化します。本研究では、この脳実質の単位容積あたりに含まれる血液量を局所血液量、すなわち brain blood volume(BBV)と呼びました。血流量という場合には、血液の流れる速度や、単位時間あたりに流れる血液の量を指すことが多く、BBV とは厳密には異なります。血液中に含まれる酸素やグルコースが血管壁を越えて脳実質に運ばれる効率を決める主要因が、BBV、血流速度、血流量のどれであるかについては議論があります。本研究では、血管を「影」としてイメージングし、細胞蛍光の強さの変動を評価したため、主に BBV に相当する指標を計測したことになります。いずれにせよ、血管平滑筋やペリサイトなどの作用によって血管が拡張すれば、脳実質への代謝エネルギー源の供給も増えると考えられます。本研究では、血管拡張薬である SNP を投与したところ、BBV が増大するとともに、アストロサイト内ピルビン酸と神経細胞内 ATP のいずれもが増加することを確認しました。 ↩︎ - 特徴的な時空間パターン
本研究では、脳血液量の速い変動成分に、約 6 秒の繰り返し現れる時空間パターンを見出しました。このようなパターンをモチーフと呼びます。本研究では、比較的速いタイムスケールでの脳血液量変動を、ノンレム睡眠、レム睡眠、覚醒状態を通して詳しく解析しました。その結果、約 6 秒の時空間シークエンスとして繰り返し出現する血液量変動のパターンが複数発見されました。このような特徴的な時空間パターンをモチーフと呼びます。さらに、睡眠状態に応じて、どのモチーフが多く出現するかが異なることも明らかになりました。脳の広域イメージングを用いた研究では、神経細胞活動のパターンについて詳細な時空間解析や相関解析が行われてきましたが、血液量変動パターンについて同様の解析が行われた例は限られていました。本研究は、脳内血管系の活動が単なる背景的な供給過程ではなく、神経活動に匹敵する複雑な時空間構造を持つ可能性を示しました。なお、神経活動を広域蛍光イメージングで解析する際にも、脳血液量変動が「影」として蛍光シグナルに影響する可能性があります。そのため、多波長蛍光計測や血液量変動の補正を行わずに得られた蛍光シグナルの解釈には注意が必要です。 ↩︎ - アストロサイト-神経間の乳酸シャトル仮説
アストロサイトが血管からグルコースを受け取り、乳酸に変換して神経細胞へ渡すことで、神経細胞のエネルギー産生を支えるという仮説です。脳の多くの場所では、神経細胞は血管に直接接していません。そのため、アストロサイトが血管からグルコースを受け取り、乳酸に変換し、その乳酸を神経細胞に受け渡すことで、神経細胞にエネルギー源となる代謝産物を供給している可能性が考えられてきました。神経細胞は、受け取った乳酸をピルビン酸に変換し、これを神経細胞内のミトコンドリアに取り込むことで、効率的に ATP を産生できると考えられています。また、アストロサイトは脳内のイオン環境の調節を通しても、脳内のエネルギー利用に深く関わっていると考えられています。一方で、血管から供給されたグルコースを、神経細胞が細胞外空間から直接取り込むことも知られており、アストロサイト経由の間接的な供給経路と、神経細胞への直接的な供給経路がどのように使い分けられているかについては議論が続いています。本研究では、神経細胞へのエネルギー供給過程の少なくとも一部をアストロサイトが担っている可能性を考慮し、アストロサイト内の代謝状態を蛍光ピルビン酸センサーで計測しました。 ↩︎ - 機能的MRI
機能的 MRI(fMRI)は、脳活動に伴う血流や血液中の酸素化状態の変化を利用して、脳機能を推定する方法です。本研究は、血管由来の信号の解釈に新たな視点を与えます。機能的 MRI(functional magnetic resonance imaging; fMRI)は、ヒト脳活動を非侵襲的に調べるために広く用いられている方法です。fMRI では、神経活動そのものを直接記録しているのではなく、主に脳血流、脳血液量、血液中の酸素化状態の変化を手がかりに脳活動を推定しています。特定の脳機能に関連する部位で fMRI 信号が変化する場合、その部位で神経活動に伴う血管反応が起きていると解釈されます。本研究では、レム睡眠時に脳血液量とアストロサイト内ピルビン酸が増加する一方で、神経細胞内 ATP が低下することが示されました。したがって、血管由来の信号が増加していても、それが神経細胞内のエネルギー状態の増加を単純に意味するとは限りません。この点は、fMRI などの血管信号を用いた脳活動推定の解釈にも、新たな注意点と視点を与えるものです。 ↩︎
論文情報
タイトル:Energy paradox in REM sleep: balancing supply and consumption in brain metabolism
著者:Yusuke Takahashi, Yoko Ikoma, Ko Matsui*
筆頭著者: 東北大学 大学院生命科学研究科 超回路脳機能分野
大学院生 高橋 佑輔
* 責任著者:東北大学 大学院生命科学研究科 超回路脳機能分野
教授 松井 広
研究室:http://www.ims.med.tohoku.ac.jp/matsui/
掲載誌:Communications Biology
DOI: https://doi.org/10.1038/s42003-026-10646-6
問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学大学院生命科学研究科
教授 松井 広(まつい こう)
TEL: 022-217-6209
Email: matsui*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
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