TOHOKU MEDICINE LIFE MAGAZINE

東北大学医療系メディア「ライフ」マガジン

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〔いのち)の可能性をみつめる

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〔いのち)の可能性をみつめる

伊藤亜紗・愼 允翼
往復書簡(1)

伊藤亜紗(美学者・東京科学大学教授)
愼 允翼(東京科学大学研究員)

手は、誰にとっても身近な存在でありながら、その経験のあり方は決して一様ではありません。触れること、動かすこと、感じること。私たちは日々「手」を使いながら生きていますが、その手をどのように経験しているのかを言葉にする機会は、案外少ないのかもしれません。

今回の特集「手」では、美学者・伊藤亜紗さん(東京科学大学教授)と、SMA(脊髄性筋萎縮症)とともに生きる研究者・愼 允翼(シン・ユニ)さん(東京科学大学研究員)による往復書簡をお届けします。

それぞれの身体経験を手がかりに、「手」がひらく世界について考えていきます。深い個別性のなかから立ち上がる、人間の身体と関係のありように耳を澄ませる、全6回の往復書簡です。

第1回:伊藤 → 愼

愼 允翼 さま

あらためましてこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?私はいま出張でドイツのアーヘンという街に来ています。アーヘンに来る前はフランクフルトに一泊して、ゲーテの生家を見学してきました。クリスマスに祖母からプレゼントされ、のちに演劇への関心の原点になったという「人形劇用の舞台」がそのまま残っていました。

さて、今回貴重な機会をいただいて、愼くんとこうして往復書簡ができて、とても嬉しく思っています。「手」というテーマをいただきました。愼くんと、手についてどんなことを語り合えるのか、ワクワクしています。

愼くんに初めて会ったとき、その場にあった紙袋の裏に、思わずその細くて長い指のデッサンをしてしまいました。そう言われて嬉しいか分からないのですが、率直な気持ちを告白すると、とてもとても魅力的で吸い込まれるようでした。この手には自分のそれとは違うメカニズムと機能が宿っている、という圧倒的な「謎」感に惹きつけられたのだと思います。倫理的には正しくないことかもしれませんが、いまでもときどき電動車いすのステアリングに添えられた愼くんの手をチラ見してしまいます。

もっとも、同じ職場で働くようになって一年がすぎ、愼くんの身体言語のようなものをだいぶ読めるようになってきた、という実感もあります。車椅子をターンすると「振り返った」ように感じるようになったし、近くに来てくれると「肩を叩かれた」ように感じます。車椅子をふくめて愼くんの身体の動きが私の中でパターン化され、ある意味では記号的に理解されるようになってきているのだと思います。

ですが、愼くんの手については、一年経ってもまだそれほど解像度が上がっていないかもしれません。この往復書簡を通じて、愼くんの手の言語を少しでも知ることができたらと思っています。

ただし、手をそのようにとらえることは、手がやっていることの一面(手のひら?!)でしかありませんよね。手は、何かを伝える表現器官であるだけではなく、物をつかんだり押したりする運動器官としての側面、さらには対象を感じ取る感覚器官としての側面もあります。この運動器官、感覚器官としての側面も知りたいです。

一見すると、表現器官としての手にこそ、その人の人柄のようなものが現れているように思えます。そのような見方は、社会的な次元では確かに正しいものでしょう。けれども身体の研究者としては、むしろそうした社会的な人柄の奥にある、固有の欲望や習慣が気になってしまいます。それは、表現器官としての手よりも、運動器官、とくに感覚器官としての手にこそ表れているのではないかと思います。

ときどき重度知的障害のある方たちの施設に通っている、というお話は以前しましたよね?そこで出会う人たちの中には、手のひらがめちゃくちゃ柔らかい人と、逆に手がめちゃくちゃ硬くてごつい人がいます。柔らかい人は羽二重餅のようにすべすべで、硬い人は皮のグローブをはめているみたいです。推測ですが、主に感覚器官として手を使ってきた人の手は柔らかく、もっぱら運動器官として使ってきた人の手は硬いのかなと思っています。対象の質感や形状をそっと感じ取るパラボラアンテナのような手と、対象を包み込んで自分の思い通りに動かしたい手。言葉をしゃべらない彼らなので、むしろ手のひらの上に、彼らの生きてきた歴史を知るヒントがあるように感じています。

2026/6/10
朝日の差すホテルの部屋で
伊藤亜紗

Illustration: ワタミユ

伊藤 亜紗(いとう あさ)

東京科学大学未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院教授。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。その人固有の身体的経験や感性のはたらきなど、言葉にしにくいあいまいな領域について研究している。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)、『体の居場所をつくる』(朝日出版社)、『身体の美学入門 ――感性から捉えなおす人間の本質』(中公新書)など。第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞、第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、第19回日本学士院学術奨励賞受賞。

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