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〔いのち)の可能性をみつめる

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小野田泰明教授。「東北大学百周年記念会館 川内萩ホール」にて。かつて大学講堂であったときに設けられていたプロセニアム(舞台と客席を区切るアーチ状の構造)は取り払われ、フルオーケストラの演奏にふさわしいステージへと再構成されている。

ひらかれた「東北大学百周年記念会館 川内萩ホール」のシナリオ

―建築計画者・小野田泰明教授とともに「川内萩ホール」を巡る(前編)―

小野田泰明(東北大学大学院工学研究科 都市・建築学専攻 建築空間学分野 教授)

この建物が「東北大学百周年記念会館 川内萩ホール」として開館したのは、2008年10月のこと。それまでここは、東北大学五十周年を記念して建てられた「東北大学記念講堂・松下会館」(1960年竣工)だったが、老朽化が進むとともに、使用機会も次第に少ない状況になっていた。リノベーションによって、役割そのものを書き換えられ、あらためて社会のなかに位置づけ直されたのだ。
以来、世界各国の著名な研究者たちによる重要な国際会議がひらかれることもあれば、音楽愛好家のためのクラシック・コンサートが開催されることもある。いまではそんな催しのある日常があたりまえの「会議場でもあり、コンサートホールでもある場所」としてひろく認識され、人びとに親しまれている。2016年には公共建築賞(優秀賞)受賞。歴史と品格と響きに満ちたこの場所に、東北大学の学生や教員、卒業生たちは誇らしさを感じることだろう。また、仙台市民をはじめ、遠くから訪れた学外の人たちは、百年のときを超えて知の地層を重ねてきたこの東北大学の厚みを静かに感じ取っていることだろう。
東北大学創立百年という大きな節目を記念したこのリノベーション事業において、その転換のシナリオを書き上げたのが、建築計画者・小野田泰明教授である。いったい、「使われることのほとんどなくなった大学講堂」は、いかにして「東北大学のシンボルであり、会議場兼コンサートホールであり、そして市民や都市にひらかれた場所」へと鮮やかな変貌を遂げるに至ったのだろうか。そこには、「プレ・デザイン(=設計の前段階において精緻な調査を通して諸条件を整えること)」を職能とする建築計画者の仕事ぶりが隠されている。2025年からは日本建築学会会長をも務められている小野田教授に萩ホールをご案内いただきながら、その一端に触れてみたい。

東北大学百周年記念会館のプロジェクト・マネージャーにして、萩ホールの共同設計者でもある小野田泰明教授にガイドいただく、というスペシャル・ツアーのはじまり。
現在の萩ホール正面。外観に大きな変更はない。右側のやや小さな建物は旧松下会館で、現在は萩ホールの会議室、応接室となっている。国際会議の分科会や、参加者の控え室などとして有効に使われている。

小野田

このリノベーション事業において、外観はほとんど変えていません。東北大学五十周年を記念したこの東北大学記念講堂は、戦後10年くらいの時期に構想されたもの。世界的な流行であったモダニズムを受け継いだ、当時としてみれば非常に上質な設計であり、大変なチャレンジであったことが読み取れます。「インターナショナルスタイルで、この大学を起点に世界ともういちどしっかり向き合っていく」と、東北大学の先輩たちは考えておられたのでしょう。その思想が明確に表れている外部はそのまま残していくこととし、それに対して内部はまったく対照的に、「五十周年記念館」を「百周年記念館」へ、東北大学が新しい方向性へ踏みだしていることを感じさせるものにしよう、と考えました。

とはいえ、どうしたらいいのか、どういう使いかたをすればいいのか、その判断は非常に難しいものでした。当時の講堂ホールはほとんど使用されておらず、大学側は当初、「床を張って博物館にする」という構想を持っていました。しかし、床を張ってしまえば現代の建築基準法を満たさなければならず、さまざまなところを徹底的に直すことになる。お金も時間もふくれあがり、ハードルが高くなりすぎます。そうした検討を経て、博物館にするのではなくホールの機能を存続させることとし、国際会議場兼コンサートホールというコンセプトへと絞り込まれていったのです。

1階エントランスホール。色と光を剥ぎ取った、黒い空間へと変更されている。このエントランスの黒が、外に広がる緑と、ホール内の赤みがかった萩色を繋ぐとともに、ここからホールへと入ることで、静から動への切り替わりが生まれる。黒も単調なものではなく、石系やタイル、木、漆喰などさまざまな素材から構成されている。

小野田

この1階エントランスホールからは、以前は、野球のスタジアムのようにまっすぐに階段で上がって客席へと入っていく設計となっていました。しかし、それでは外部からの空間と騒音がダイレクトにホールに流れ込むため、コンサートホールの音響上、好ましくありません。そこで、ある程度の遮断が必要であると判断し、お客さんの流れを一旦止め、いちど階段を上がって2階ホワイエへ移動していただいてからホールに入ってもらうという流れに変更しました。元々は2,000人の観客が入るホールだったものを席数約1,200に減らしているのですが、それでもいちどに1,200人が動くというのは大変なこと。動線となる交通計画はやはり非常に大事なので、新たなものへと切り替えるのもまた大きな判断でした。

エントランスホールから2階ホワイエへつながる階段。エントランスとの連続性を感じさせる意匠。ふつうは外部に出ている手すりは、ここでは壁面内部に手を入り込ませるものとなっている。他にもお客さんができるだけスムーズに上がって行けるような配慮がちりばめられている。
外からの緑と光が入り込む2階ホワイエ。絨毯を歩く足のうらからは気持ちの良い感触が伝わってくる。
1階の女性用トイレ

小野田

コンサートホールで案外、設計が難しいのはトイレです。特に女性トイレ。人が殺到しますし、むかしの設計では女性用の数が足りなかったり、そこで化粧直しされる方もいたり、なかなか大変です。ここでは、中央にアイランド型の手洗いを採用しました。今でこそ駅などでよく見かけますが、2008年当時では最先端のアイデアでした。そこで手を洗って帰っていただくコースと、パウダールームで化粧を直すコースというように動線を分けています。この女性トイレは設計の密度をかなり上げていて、2026年の現在でも収まりとしてはある程度の満足を得られるレベルにリノベーションできたかなと思っています。
このように、ここを利用する人たちがどれだけいて、どのように動くのか、ということを事前にシミュレーションするというのも、プレ・デザインの仕事のひとつです。設計する前に、それを司る条件がどうなのかを整理し、必要性があればその条件自体を動かしてしまおう、という動的な概念です。

小野田

さて、ホールです。もともとここは、ステージにプロセニアムというアーチがあって、吊り物があり、横幅が非常に広い「多目的ホールの講堂」でした。大学の理事会や同窓会はじめ多くの先生方からの期待を背負って、大きなお金をかけて百周年記念館をつくろうというとき、ここを再び講堂にするというのは本当に正しいのか、そうでないならなににするのか、検証しました。
ところでこれはすこし余談ですが、われわれの学生時代は街に飲みに行くと他校のおしゃれな学生たちに「いかトン」つまり「いかにもトンペイ」などと呼ばれてイジラれる経験などもしたものです。今はそんなことはないでしょうが…。私自身、その後、海外で生活したりする中で、やはり社会のなかである種の責任を持って主導的にあたる立場の人間は、勉強も努力もするけれど、文化に対する知識、理解、センスというものを持って凛として立っている姿を見せることも必要だということを実感しました。これからの若く志ある人たちにもやはり凛として立ってもらいたいですし、ここは東北大学の伝統や東北の文化、そして世界にもつながる場所であるというメッセージを込めるべきではないかという想いもありました。

同窓会や理事会、そして当時この事業の中心的な役割を果たしていた大西仁副学長(当時)と交わした議論のひとつは、ここをクラシック中心のコンサートホールにすれば、東北大学にとって格式を感じさせるブランディングとなるのではないか、ということでした。しかもコンサートホールであれば、吊り物を極力少なくでき、それによりランニングコストの圧縮も可能になるし、学生たちの誇りに繋がる趣味のいい空間となる。設計は仙台出身で、東北大の卒業生でもある、当時UCLAの建築・都市デザイン学科の学科長を務めていた阿部仁史先生にお願いすることで、質の高い空間の実現を担保するとともに、東北大学ブランドの発信にもつながるだろう……、と。そういった議論や検証から、ホール系機能を維持することとし、さらにはコンサートホールにしていくことになったのです。しかも、コンサートホールにするにあたっては、興行場の許可を取得することにしました。ホールを貸しだして収入にするわけです。「大学講堂」という既存用途を、「興行場」へと用途変更するという、ハードルの高い挑戦でしたが、そこまでやっていきましょう、という同意を取りました。そのために、イベント市場のマーケット分析や、365日どんなふうに運営されるかのシミュレーション、貸館料をいくらにすればどれだけ儲かり、維持費や人件費がいくらになり、運営スタッフはどのように構成するかということまであらゆることを試算しながら、綿密に企画を練り上げました。

コンサートホールで重要となるのが、音です。まず、立体感のある美しい響きをつくること。そのためには、もともと50メートル近くあった1階席の幅を、約20メートルまで狭める必要がありました。さらに、残響の長さもほしいということで、気積とよばれる空気のボリュームを確保するため、2階席へと上っていくに従って空間が広がるようなすり鉢状のホールにしています。
さらに問題となるのは、ここがコンサートホールであるだけではなく、国際会議や講演会で使用されるということです。音の響きが良くなれば、スピーチや人の話が聞き取りづらくなる、という問題が出てきます。それを避けるため、小さなスピーカーをたくさん仕込むことにより、直達音の音圧を上げて明瞭度を上げる工夫をしています。こうした音響の設計をしていることもこのホールの大きな特徴で、そこを担ってくださったのは東北大学電気通信研究所の鈴木陽一教授(当時)です。最新の音響学の知見にもとづき、一流の音楽ホール機能と、講演を明瞭に聞き取れる良好な音空間という、通常は矛盾しかねない条件の両立が図られています。

ほかにも、このホールでご案内したいポイントや見ていただきたいところはさまざまありますが、今日はここまでとしましょう。

小野田

プロジェクト進行中の2007年頃、リーマンショックが起こり、予定していた金額が集まらず、予算的にずいぶん工夫を重ねましたし、そのほかにもステークホルダーとの調整など、大変なことの多いプロジェクトでした。けれど、ものをつくるというのはそのように、困難な状況を乗り越えてこそのものとも言えます。
よく学生たちにも伝えるのですが、東北大学を卒業した人たちには社会の最前線で活躍したり、ノーベル賞を取ったり、素晴らしい発明をしたりという人たちも多いわけですが、そういう人ばかりなわけでもありません。社会のリーダーシップを担う人材ではありますが、東大や京大やハーバードといった人たちとは少し違う。しかしながら、そうした状況下でも、組み敷かれるのではなく、彼らに負けないパワーを発揮することはできるはず。高い志をもって現場にとどまりながら人や技術や知を束ねて、新しい方向へと飛ばしていく——そうした力はむしろわれわれの側にあるのではないか。そこから新しいものを発見していけるのではないか、と。実際このプロジェクトでも、困難な条件の中、創造的なものをつくりあげるチームに自分も加えていただいたという経験を得て、そのことをあらためて実感しています。

ここまでお伝えしてきたように、事前にたくさんの検討やシミュレーションを重ねたこのプロジェクトですが、本当にそれで100パーセントOKになるかというと、そうではありません。実際に貸館してみたら誰も借りてくれない、ということもありえるわけで、どうやっても数パーセントのリスクは残るのです。けれど、そこで同窓会や理事会の方々に「わかった、お前がそこまで確信を持って下ごしらえしたのなら、俺がリスク取って調整してやる」と言っていただき、難しい局面を幾度となく乗り切って来ました。特に東北大学加齢医学研究所の名誉教授であり、東北大学研究教育振興財団の理事(当時)であられた仁田新一先生には、親身になって汗をかいていただきました。そうした素晴らしい方々の存在は心強いものでした。本心から、自分は恵まれた大学を卒業したのだと感じました。そういう方々の判断の積み重ねの上に、阿部仁史先生という国際的建築家が力を尽くされたことで、萩ホールという新たな東北大学ブランドの象徴ができあがっていったのです。

「コスパ」や「タイパ」という言葉に縛られて、安全なところだけを狙う態度は、長期で見ると経済性の悪い方法であることが多いと思っています。このプロジェクトでは経済効果などについてさまざまに検討していますが、決してコスパだけで判断はしていませんし、どこかのコンサルが言う「経済効果」を買ってきたわけでもありません。基本から自分で考えぬき、計算し、そのうえで最終的に残る数パーセントのリスクは取っていく、ということでできあがっているのです。「コスパやタイパは大事だけど、そこにだけ囚われていると本当に守るべきあなた自身の可能性が損なわれますよ」ということを、若い方たちには伝えたいですね。

※後編「建築といのち」は6月5日公開予定です。

Text:空豆みきお(akaoni)
Photo:三浦晴子

小野田 泰明(おのだ やすあき)

1963年石川県金沢市生まれ。博士(工学)、一級建築士。東北大学大学院工学研究科 都市・建築学専攻建築空間学分野教授、同災害科学国際研究所教授(兼担)。日本建築学会会長(2025〜)。
建築のソフトとハードをつなぐ「建築計画者」として、せんだいメディアテーク、流山おおたかの森小中学校などの立ち上げに参画。阿部仁史氏らと共同で、くまもとアートポリス・苓北町民ホール(日本建築学会賞・2003年)、東北大学百周年記念会館・川内萩ホール(公共建築賞・2016年)を設計。東日本大震災発災後は、岩手県釜石市、宮城県石巻市・岩沼市・七ヶ浜町などで行政・事業者らと共同して復興事業に注力。2022年日本建築学会賞(論文)、2026年日本建築学会賞(業績)受賞。
著書に、『プレ・デザインの思想 建築計画実践の11箇条』TOTO出版、2013年(日本建築学会著作賞)、『復興を実装する 東日本大震災からの建築・地域再生』(共著)鹿島出版会、2021年などがある。

関連リンク
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