
伊藤亜紗・愼 允翼
往復書簡(3)
伊藤亜紗(美学者・東京科学大学教授)
愼 允翼(東京科学大学研究員)
2026.8.19 Wed
手は、誰にとっても身近な存在でありながら、その経験のあり方は決して一様ではありません。触れること、動かすこと、感じること。私たちは日々「手」を使いながら生きていますが、その手をどのように経験しているのかを言葉にする機会は、案外少ないのかもしれません。
今回の特集「手」では、美学者・伊藤亜紗さん(東京科学大学教授)と、SMA(脊髄性筋萎縮症)とともに生きる研究者・愼 允翼(シン・ユニ)さん(東京科学大学研究員)による往復書簡をお届けします。
それぞれの身体経験を手がかりに、「手」がひらく世界について考えていきます。深い個別性のなかから立ち上がる、人間の身体と関係のありように耳を澄ませる、全6回の往復書簡です。
第3回:伊藤 → 愼
愼 允翼 さま
じりじり暑いですね。まえに愼くんは身体が空の方に向いているからまぶしいと言っていました。どうか愼くんにすてきな木陰のご加護がありますように・・・
お手紙をいただいて、いつもとちょっと違うモードでのやりとりにニヤニヤしています。相手からの刺激に応じて引き出されていく愼くんの生成変化の柔らかさのようなものが感じられる文面でした。
お手紙のさいごに汗の話が書かれていました。私は以前から愼くんのつやが気になります。皮膚もそうですが、とくに髪の毛のつや。クリームや整髪料の影響もあるのかもしれないけれど、皮膚や毛髪が光を放つということを、私はほとんど愼くんの能動的な行為のように感じているような気がします。
「表現」ということが、自分の中で起こっていることが外へと押し出されて出てくる、という意味であるとすれば、汗やつやはまさに表現ですよね。腕や足に大きな動きがないぶん、汗やつやを手がかりにして、愼くんの中で起こっているできごとを探ろうとしているのかもしれません。よく考えると変ですが、汗腺の収縮やキューティクルの開閉に、行為のようなものを見ている気がします。この人はいま何になろうとしているのか。社会的なやりとりにおいては相手がいま向かおうとしている方向、そのベクトルのようなものをつかむことが重要です。だから全身から発せられる表現が気になるし、そのベクトルがそろったり引き寄せあったりできると嬉しい。
ベクトルがより明確な形をとったものが、おそらく「欲望」ですね。前回のお手紙で書かれた左手のお話がとても興味深かったです。左手は、相対的に運動器官としての機能は低いけれど、「触れられる(受動の)ときに、こちらからも触れられる(能動の)能力を発動させる」と書かれています。つまり、物理的には左手が何かを能動的に触れにいくということはないけれど、にもかかわらず、刺激をきっかけにして自分の中にそのような能力があると感じられる、ということでしょうか。自分の中にある能力が照らされる感じ。これってまさに欲望なのではないかと思います。触れにいきたい、という欲望です。
『体の居場所をつくる』にも登場していただいたのですが、身体症状症(旧:身体表現性障害)のさえさんは、刺激の影響を強く受けてしまうため、15年近く自宅中心の生活を送っていました。その生活を安定させるだけでもかなり大変だったのですが、あるとき、自宅のドアを開けて郵便ポストまで郵便を取りに行こうという欲望が生まれ、そのことに驚いたそうです。実際には行けない日も多いらしいのですが、そのような欲望が自分の中に芽吹いたことがとにかく嬉しかった、と。生活が動いているということを実感した、と言っていました。
欲望は、私の知っている私よりも、つねにちょっとだけ先に行っていますね。それが照らし出すものに、私自身が驚いてしまいます。動揺。手には、そんな目に見えない嵐や雷が蠢いているのかもしれません。
※「伊藤亜紗・愼 允翼 往復書簡(4)」は、9月24日公開予定です
2026/8/7
近所のエクセルシオール大学にて
伊藤亜紗
Illustration: ワタミユ
伊藤 亜紗(いとう あさ)
東京科学大学未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院教授。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。その人固有の身体的経験や感性のはたらきなど、言葉にしにくいあいまいな領域について研究している。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)、『体の居場所をつくる』(朝日出版社)、『身体の美学入門 ――感性から捉えなおす人間の本質』(中公新書)など。第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞、第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、第19回日本学士院学術奨励賞受賞。