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〔いのち)の可能性をみつめる

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手に滲む、「その人らしさ」

五十嵐大(小説家・エッセイスト)

耳のきこえない両親を持つ、コーダとして生まれ育った小説家・エッセイストの五十嵐大さん。自身の生い立ちを綴った『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は映画化もされました。そんな五十嵐さんにとって、家族との会話に欠かせなかった「手」とはどのような存在なのか。家族との日々を振り返りながら、ご寄稿いただきました。

手に滲む、「その人らしさ」

幼い頃、ぼくと母はしょっちゅう「手」でお喋りをしていた。どうして手なのかというと、母は(そして父もまた)耳がきこえないろう者だったから、親子間での言語が手話だったからだ。とはいえ、聴者の祖父母とも同居していた我が家では手話を使うことがあまり歓迎されていない空気が漂っていて、なんなら祖母からは「手話よりも日本語を覚えなさい」と言われていたこともあり、積極的に手話を覚えようとはしていなかった。だから厳密にいうと、母や父とのコミュニケーションには、手話だけでなく口話も身振り手振りも筆談も入り混じる。ただ、やはり手が、つまり手話が大事だったことに変わりない。幼いながらもぼくは、手話が両親にとっての大切な「言葉」であることを理解していたし、それを用いることが最もストレスなく話せるのだとも分かっていた。だからこそ、ぼくは、学校から帰ってくると母のもとに駆け寄り、その日あった出来事や友人のことなんかを手話で伝えた。母は母で嬉しそうに手話べり1(注釈)に応じてくれていた。

ところが、一人っ子として散々甘やかされ、両親のことが大好きだったぼくにも、思春期が訪れる。なんでもないことにイライラし、胸の奥で常になにかが燻っているような日々が続く。自分でもよく分からないくらい、親に対する苛立ちが収まらなくなっていく。母からの何気ない問いかけにさえストレスを感じ、まともに答えようとしない。しまいにはそっぽを向き、母の手話から目をそらす。これを聴者に置き換えるならば、耳を塞ぐ行為に似ているだろうか。いまはあなたの話をききたくありません、という反抗的な意思表明だ。

すると、ドンッとテーブルを叩く音がする。やばい、と思って振り向けば、母が眉を釣り上げいるではないか。普段は穏やかな母であっても、そうなるともうおしまい。口話と手話を混じえながら、〈どうしてそういう態度を取るの!〉と叱りつけてくる。怒っているときの母の手話はとてもスピードが速く、指先は張り詰めたようにピンと伸びていて、全体的に棘々している。そこで素直に謝れれば事なきを得るのだが、素直じゃないぼくは応戦してしまう。いつもより1.5倍増しくらいの大きさの動きで、〈うるさいんだよ!〉と言い返し、やがては大喧嘩へと発展するのであった。

とまあ、ここまでは聴者もろう者も関係なく、思春期を迎えた子と親の間ではよくあるエピソードだろう。ただ、大人になってから当時を振り返る中で気づいたことがあった。それは、「手話にも声色のようなものがある」ということだ。

高い低い、優しそう、怖そう、など、人にはそれぞれに声色がある。それがその人の印象を決定づけることもあるし、怖そうな声で話す人が実は物凄く良い人だったというギャップを生んだりもする。あるいは、いつも穏やかな印象のある人が急に低い声を出したとき、ああ、怒っているんだなと気づかされることもある。

同様に、手話にも、話者のイメージにつながるものがある。怒っているときは目にも止まらぬ速さで手を動かす母も、普段は比較的ゆっくりで読み取りやすい手話をする。それは子どものぼくにも理解できるように、という親心の表出でもあっただろうし、同時に、母自身の優しい性格が滲み出ているのだとも思う。一方で父はどうかというと、彼の手話はとてもぶっきらぼうな感じがするのだが、たとえば映画やマンガの話になるとワクワクするような感じで、手が弾んで見える。同じ手話を使っていたとしても、母と父ではそこから受ける印象がだいぶ異なるのだ。

これはなにも母と父に限ったものではない。ぼくが綴ったエッセイ『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が映画化された際、作中に登場するろうのキャラクターには、実際のろう者が俳優として起用された。そのため、劇中にはさまざまな手話が映し出されるのだが、それを見てみると、一口に手話といっても話者が異なればこんなにも違うのだな、と感じてもらえるはずだ。

たとえば、大人になった主人公がバイト先のパチンコ屋で出会う中年のろう女性の手話は、非常に豪快だ。それまでの人生でさまざまな出来事を経験し、呑み込んできた。そこには悔しさもあったかもしれない。それを踏まえて、「自分は自分なのだ」と胸を張って生きている。そんな懐の深さと快活ささえ感じさせる。

また、主人公と同世代の友人としても、何人かのろう者が出てくる。彼女たちの手話はとても速く、まるで若者たちがノンストップで話しているような印象を受けるだろう。その場にいるみんなのことを信頼していて、心の底から楽しくて仕方ない。うちらって良いよね! と思っているような感じが、彼女たちの手話べりから伝わってくる。

そう、声や喋り方には千差万別あるように、手話、そして手話を使った喋り方にも一人ひとりの「色」が出ているのだ。それは何故かというと、答えはシンプル。手話は「決められた通りに手を動かすだけの福祉的なツール」ではなく、その人の性格や個性、バックグラウンド、気持ちまでも表現される、「言語」だから。

そういえば、長い間、ぼくは自分の手話が嫌いだった。いや、もう少し噛み砕いていうならば、自分の手話に自信が持てず恥ずかしい、だから人前であまり使いたくない、というほうが近いだろうか。

コーダとして生まれた人はしばしば「手話が上手い」と思われてしまう。もちろん、幼い頃から両親の手話をじっと見つめ、自然と習得した人もいる。でも、すべてのコーダがそれに該当するわけではない。先述したように、家庭内であまり手話が尊重されていなかったこともあり、ぼくは簡単な日常会話レベルの手話しか身に付けられないまま大人になってしまった。そもそもホームサインもだいぶ混じっているため、「身に付けた」と思い込んでいる手話がどこまで正しいのかも怪しいし、ネイティブな手話話者と比べたら、とてもたどたどしいだろう。そんな状態だから、初対面のろう者の前で手話を使うことにも抵抗があった。コーダのくせに随分下手くそなんだな、なんて思われているんじゃないだろうか……と。

でも、その長年のコンプレックスのようなものが氷解する出来事があった。『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の映画化の際、劇中の手話演出をしてくださった一人のろう者から、こう言われたのだ。

〈五十嵐さんが使う手話を見ていると、お母さんにとても愛されて育ったことが伝わってきます〉

曰く、ぼくが使う手話はどこか女性的な柔らかさがあるらしい。それはつまり、幼少期に母親と過ごす時間が長く、彼女が使う手話を見て、自然とそれを自分のものにしたからではないか、という。

指摘された瞬間、ぼくは自分の両手をまじまじと見つめた。下手くそでたどたどしい手話しかできないと思い込んでいたぼくの両手には、実は母の「手話の色」が染み込んでいたのかもしれない。知らず知らずのうちに、ぼくは母の手話を受け継いでいたんだ――。

以来、ぼくは自分の手話が愛おしくなった。もちろん、流暢に手話べりするためにはもっと勉強しなければいけない。でも、母から受け継いだ「手話の色」だけはこの先も無くしたくない、と思っている。

  1. 手話を使っておしゃべりすること ↩︎

Illustration:かやはらゆきの

五十嵐 大(いがらし だい)

1983年、宮城県塩竈市生まれ。耳のきこえない両親を持つ、コーダとして生まれ育つ。2020年、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でエッセイストとして、2022年、『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)で小説家としてデビュー。2024年9月、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(その後、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』と改題し文庫化)を原作とした実写映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が公開される。その他の著書に『その手は明日を紡ぐために』(KADOKAWA)、『拝み屋のおばあちゃんと僕』(双葉社)など。

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